いろんな人達と一緒に何かをしてみましょう

医学部 内藤 輝(解剖学)

 授業改善ではなかなか文章が思い浮かばなかったので、近頃の学生の様子を見て考えたことを書かせて頂きます。お許し下さい。

 最近、どの大学でも、"自己探し"や"進路模索"といった悩みで、学業を放棄し休学や退学にまで追い込まれる学生がどんどん増えていると聞きます。このような傾向は医学部でもみられ、「入試の時の面接は何だったんだろう」と首をかしげつつ、「でも、18、19の若さで自己や進路を考えても、考えるための材料がなくて袋小路に入ってしまうよな」などと憂いながら、かつての自分を振り返ってみました。

 私が入学した昭和51年当時の医学部は、教養を学ぶ小白川の2年間と専門を学ぶ飯田の4年間に分かれていました(今は小白川1年、飯田5年)。他の学部は教養1年半専門2年半で、工と農は今と同じで小白川で1年過ごし米沢と鶴岡に移行したため、当時の小白川には、人文、教育、理の1-4年生、工と農の1年生、医の1-2年生が一緒に暮らしていました(工、農、医の学生にとって、学部の教官や先輩のいない小白川は無法地帯と呼ばれていました)。私はこの2年間は部活とバイトに明け暮れ将来のことなどあまり考えずにいましたが、今思えば、この時出会ったいろんな人達、特に部活で一緒になった他学部の仲間達との付き合いが、そのまま私の"自己探し"や"進路模索"になっていたような気がします。というのも、学部を越えて一緒に何かをするためには、相手の個性や考え方だけでなく置かれた立場(学部、学科、学年で全く違う)を十分理解し尊重するとともに、自分の立場も理解してもらえるよう努力する必要があり、こうした努力の積み重ねによって、他者を知ることで自分を知り,他者に期待し求めることで自分に期待し求められること、しなければならないことが分かるようになったと思うからです。そうです、自己や進路を考えるためには、いろんな他者から考える材料を仕入れておく必要があると思うのです。

 ということで、悩める学生諸君、いろんな人達と付き合って一緒に何かをしてみて下さい。きっとその向こうに自分の姿が見えてくると思います。

 次は理学部の半澤 直人さんお願いします。

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