教師の悩みは尽きない
ー私達はサブカルチャーに勝てるかー

農学部 葛西 大和(環境地理学)

 教育方法等改善委員会の委員から「授業改善リレーエッセイ」の執筆依頼を受けて、「豊かな授業をめざして」と題する山形大学の授業改善の記録に初めて接したというほどに、日常の生活において、この種の画面を全く開くことのない私ではあるが、在任期間中に与えられる最後の執筆機会となるであろうから、私なりに責任を果たしてみたい。

 教科書を使用して講義したことのない私の悩みは、新学期になって講義室に現われる学生の集団が、基礎知識習得の面でも、講義に寄せる期待や関心の面でも、あまりにも多様で不揃いであるという現実である。一般に、文化として何かを伝えようとする人は誰でも、聴衆や読者についての簡単な情報を持っているだけで、スピーチの内容や素材を選択する上の参考となるのであるが、私自身、このエッセイの読者、あるいは、覗き趣味のある人を想定できないのと同様に、相手のことをよく知らないままに講義を展開しなけれ ばならない大学教師は、ドン・キホーテに似た闘いを強いられる。この点は教養教育の授業において、最も極端な形で現われると言っていいだろう。

 私が担当した「グリニッジ本初子午線」の講義は、ガリレオやニュートンをもってしても、成し遂げられなかった「経度の発見」という人類史上の大発見に至る人類の非科学的・科学的認識の歩みを、文化史として繙く内容で構成してある。講義内容をよく理解するためには、当然のことながら、素養として多方面の知識が前提になる。旧約聖書やキリスト教についての一定の理解から、地球時計の利用を考えついた人類の科学的認識に照らして、初歩的な計算も必要になる。また、ギリシャ神話や占星術についても知識が求め られる。ところが、学生の関心度は、私が目標として設定した課題よりは、占いにあることが後に明らかとなる。せめて、講義室にいる間だけは理性的になって欲しいと願う教師の思惑をはるかに超えて、サブカルチャーが氾濫するこの時代、テレビや雑誌の星占いや生命判断の影響力の凄まじさを実感する。これが学生の実体であり、これも人間の姿であるから、私達のような教師が職業として成り立つのかも知れない、と複雑な思いにかられる。

 最後に、このホームページから遮断されている情報弱者の存在を考えて、多数の県民が、この「授業改善リレーエッセイ」を始めとする、山形大学で制作された情報を活字の形でも読めるように、新聞社と交渉して、山形大学が文字どおり地域社会に開かれた大学に脱皮できるように、検討して欲しいという提言をして、結びとします。

 次は人文学部の渡辺 将尚さんお願いします。

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