『日本国憲法』開講の意義と困難

人文学部 今野 健一(憲法学)

 教養教育科目の「日本国憲法」を担当して、はや10年が過ぎた。憲法学を専攻している関係上、この科目が置かれ続ける限り、その負担は当然の義務である。

 教育職員免許状を取得するためには、「特に必要なもの」と教育職員免許法(別表第1備考第4号)で位置づけられた科目として、同法の委任を受けた教育職員免許法施行規則66条の6の定める「日本国憲法2単位」を履修することが必要である。

 公教育を担う学校教員にとって、公教育制度のみならず日本の政治・社会制度の基幹をなす日本国憲法の学習が不可欠であることは、論を俟たない。「日本国憲法」を講ずるにあたり、教員たるに相応しい教養を身につけてもらうべく、内容上・方法上の工夫を重ねる努力を(細々と)続けてきた。

 講義内容については、まず憲法総論の部分で、憲法を学ぶに際して必要となる基礎的な概念、歴史的背景、さらには憲法規範の現況までも射程に収めて、憲法的な思考に慣れてもらうように工夫している。次いで、近代憲法の目的である基本的人権の保障に関わる諸テーマを配し、人権の享有主体や精神的自由権の領域を中心に、社会的関心を集めているトピックをできるだけ多く取り上げようと努めている。

 講義方法については、毎年、独自に作成するレジュメに改良を加え、特に新聞資料や図表をできるだけ盛り込むことで、学生の理解の促進を図ろうと努めてきた。

 ただ、経験上も、学生による授業改善アンケートの結果からも、口頭での説明は、だいぶ以前から困難に逢着している。ノートをとれない、とるより先に夢の世界に入ってしまう学生たちのために、近時、板書の量を大幅に増やすようにしているが、これではすべてをレジュメに書き込むのとさほど異ならない結果となってしまう。時間的な制約を考えれば、内容の「精選」も必要かもしれない。しかし、教員養成に結びつく憲法学習の内容をこれ以上スリム化することには、少なからず抵抗がある。妙案はどこにあるだろうか。

 困難は他にもある。特に、大人数教育のもたらす弊である。300名を遥かに超える学生が押し寄せるという例は、近年、急速に陳腐化しつつある。双方向的で濃密なコミュニケーションを通じた教育=学習の理想的連環は、当初から断ち切られてしまっている。我々教員サイドの負担の問題もあるが、むしろより重要なのは、マス授業によって、教員免許の取得を志す有為な学生諸君の利益が顕著に損なわれているという事実である。早急な「構造改革」が待たれるところである。

 次は工学部の横山 道央さんお願いします。

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