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トップ > 特別寄稿(山大卒業生の先輩からのメッセージ)
旧師の著書に出会う |
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芳賀 貞雄さん (山形県長井市在住) S48.3 人文学部卒業 私にとって山大と言えば、正門通路に高く繁った銀杏並木や学生会館前の緑の芝生、丸い噴水、真新しい図書館を見下ろすプラタナスの樹木など、構内ののどかな風景ばかりが思い出されます。でもその頃、学生紛争が全国を覆い、山大も嵐が吹き荒れていました。たくさんの人が放校されたり、人文棟のバリスト(封鎖)があったりしたのです。その後弔うように林立した建物を、今も痛みをもって思い出すことがあります。 私は教育学部に入学し、途中で人文学部に転部して国文科を卒業した者です。もう40数年も昔になります。 選考採用で就職した所は,その頃社会的な認知の低い少年院でした。その少年矯正の世界で、再任用期間も含めて40年間を勤めました。全国に散在する少年院と少年鑑別所の施設で20数回の転勤を繰り返して来ました。在職中は、誇れることが少なく、苦しいことばかりでしたが、学生時代の心を奮い立たせて前向きに生きて来たと思っています。退職して地元に帰ってみたら浦島太郎でした。昔を知る人はあっても,今につきあう人は誰もいませんでした。 そこで、ひょんなことから万葉集研究の本を読み出したのです。読めば、万葉集20巻に盛られた4500余首の歌世界は、様々な謎が潜んでいるのでした。そんなことを今さらに知って読み進めたのです。そして、懐かしい後藤利雄先生の研究書に出逢いました。在学中、私が唯一褒められたものが、先生のゼミ「万葉集演習」での発表でした。大学を「遊学」と見くびって入学した私でしたが、いつの間にか周囲からも学問からもはぐれていました。自意識ばかりが強く,何も出来なくなった劣等生の自分がいました。
社会で活躍する山大OBの輪を広げ、現役山大生諸君に誇りを与えて励ます「寄稿コーナー」の趣旨なのに、こんな場違いな投稿をして申し訳ありません。 でも、10万人を超えるだろう山大OBを想像してみました。それは、夜空の星みたいなものです。輝く一等星は少なく、沈んだ闇の底からまたたき光る星がほとんどです。目を懲らして見続ければようやく見えてくる星なのです。そんな星の一人として、皆さんを思い、呼びかけたいと思います。私のブログを是非ご一読ください。(笑)
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