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みどり樹通信第18号:卒業生からのメッセージ

  私の山大時代 〜ESSとの出会いを通して!!〜

                          大貫 和春 氏(山形市出身)
                              昭49.3 山形大学工学部電子工学科卒
                              現在、山形県上山市教育委員会で
                                 「寺子屋コーディネーター」に従事

長野県飯綱高原にてESSOB会(1991年)
(後列左端が筆者の大貫和春さん)

 私は1970年に山形大学に入学しました。受験勉強から解放された大学生活はきらきら輝いていました。また、この年は大阪万博が開催された年でもあり、高度成長の絶頂期でした。
 私は大学ではESS(English Speaking Society)に所属しました。生意気にも高校時代は「TIME」(英語版)を読んでいたこともあり、自信を持ってESSに入部したのですが、すぐに、英会話は全然話にならないということを思い知らされました。日常会話ならまだしも、社会・経済問題について英語で議論するディベートは全くの傍観者でした。
 2年生からは米沢キャンパスに移りました。専門課程に入ると実験・レポート等でESS活動はだんだんと縁遠くなり、在学中は会話力が花開くこともなく卒業しました。ただ、卒業後も英会話を続けていたこともあって次第に会話力は向上し、2回の海外勤務を経験することができました。1回目はマレーシアに3年間、2回目は上海に2年間、これもESSとの出会いがあったからだと思います。
 一方、米沢での生活面に関してはESSのメンバーは歩いて数分の距離に固まって住んでいました。そのため、誰かが作った食事をよく一緒に食べたものです。中でもY君が考案(?)した大根(のみ)カレーは今でも語り草です。また、すきやきはヨーイ・ドンで一斉に食べ始め、牛肉を奪い合う様にして食べたのが忘れられません。早食いの習慣は社会に出てからもしばらく続いていました。
 そんな在学中のESSの一番の思い出は1年生の時に大学祭で英語劇をしたことです。演目はシェークスピアの4大悲劇のひとつ「オセロー」です。私はオセローに仕える兵士の役でしたので特にセリフもなく、時折観客席を見たのですが、観客はまばらでした。それでも、終わった後の達成感は今でも鮮明に覚えています。劇に出演しない人は看板や大道具・小道具の製作で参加しました。正に劇は全員の結晶でした。終わった後の打ち上げコンパは実に盛大だったのを記憶しています。ちなみに、悲劇の妻デズデモーナ役を演じたのは、現在、山形大学国際事業化研究センター長の今野千保さんです。(彼女は在学中からネイティブに近い英語を話していました…。)
 私の学年は教育学部(現、地域教育文化学部)・農学部そして工学部の前後の学年と合同で毎年ESSOB会を開催しており、30数年連綿と続いています。今後もこの“絆”を大事にして行きたいと思っています。
 
 

英語劇「オセロー」の看板(背景は大学近くのもみじ公園)

英語劇「オセロー」の一幕
オセローの妻デズデモーナを演じる今野千保さん

ESS春季合宿の様子
(左端の今野千保さんと隣は米竹孝一郎山大名誉教授)

当時の山形市旅館柴田屋伝七にてESSOB会(1996年)