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地域教育文化学部 2年 工藤 斎州

留学先:台湾・銘伝大学
期間:2013年9月 〜 2014年7月

生活、語学について
 2013年9月,私は台湾の銘伝大学,応用日本語学科で留学生活を始めた。山形にいた時点での中国語能力は,中国語の文法を軽く学んだ程度。台湾を訪れた経験は無かった。
 台湾での生活を始めた当初は,日本語学科の事務の方に日本語で説明を受けながら入学の手続きを進めた。他にも鳥取大学から来た留学生が一人,高校を卒業してから直接銘伝大学へ入学した日本人が二人いたため,一緒に手続きをした。
 入学手続きの後,私は学科授業とは別に中国語の授業を受けることにした。この授業は主に海外からの留学生,また仕事で台湾に来た外国人のためのものである。そのため本来であれば学科とは別に授業料がかかるらしいのだが,私は交換留学生ということで免除された。月曜日から木曜日までの午前中が中国語の授業,計15時間であった。クラスメイトはガンビア人が2人,スワジランド人が2人,ベトナム人が1人,インドネシア人が1人,計7人のクラスであった。
 午前中に中国語の授業が入っていたため,学科の授業はあまり多く履修することができなかった。前期,後期ともに三つずつ,午後の授業を履修した。内容は日本語の文法,日本の歴史,日本の地理に関するものだった。上記三つの授業は全て中国語で行われていたため,教授の話す速度が速く,前期の間は殆ど聞き取れなかった。幸いテキストが日本語だったので,テキストの予習復習で内容を理解した。さらに,台湾人学生が日本語で演劇をする授業に,演技指導として参加した。この授業は教授も日本人だったため,すべて日本語で行われた。私はTAのような立場だったので,教授の指示がわからない学生に,簡単な中国語で説明をし,演技の仕方については,私が実際に演技をすることで学生に教えた。
 前期の間は学生チューターを申請し,二人のチューターについてもらい,週に7時間の中国語の授業を設けた。早く生活に慣れるために,とにかく大学で中国語を勉強する時間を増やした。
 生活面では,以前山形大学に留学していた王 證鈞君に世話になった場面が多かった。我々は彼が山形にいたころから知り合いだったので,私が台湾についた日も,彼が日用品を購入する手伝いをしてくれた。その他にも彼はよく私を飲みや遊びに誘ってくれた。
 後期になると私の中国語能力もそれなりに上達し,学科授業でも聞き取れる部分が多くなった。友人も多くなり,休みの日は殆どどこかに遊びに行っていた。台湾の生活にも慣れ,一人歩きする機会も増えた。思えば,台湾での生活が半年ほどたったころから,積極的に台湾での生活を楽しめるようになったように感じる。恐らく中国語の上達と,もっと大胆に生活を楽しもう,という心持ちの変化があったからだろう。

旅行、趣味について
 台湾人は休日を外で過ごすことが多く,私もよく友人と旅行をした。台北の観光地は勿論,友人の実家に泊まり,その家族と共に食事を楽しむこともあった。台湾は各地に夜市があり,観光ガイドでよく知られているものの他にも,趣深い夜市が多く存在した。観光や旅行に行った際は,夕食をその地域の夜市で食べるのが決まりのパターンであった。
 友人と遊びに行ったほかにも,担当教員の蔡 豊hの企画した街歩きツアーに参加し,台北の下町を見て回った。また新竹でも同様のツアーに参加した。街歩きツアーは主にその街ごとに存在する歴史的建造物を見て回るというものである。日本統治時代の建物を見学した際は,現在台湾で行われている歴史的建造物修繕の取り組みについて学んだ。
 私は中学生の頃からギターが趣味であった。台湾についてすぐ,台湾人の知り合いに頼み中古のギターを買い,銘伝大学の軽音サークルに入部した。サークルには日本語学科以外の生徒も参加しており,彼らとコミュニケーションを取りながら中国語の練習をすることができた。前期まではチューターと中国語の練習をしていたが,後期にはチューターを申請せず,サークルでの活動を主として中国語の練習をしていた。

まとめ
 台湾で暮らしていた一年間は,本当にあっという間だった。海外での一人暮らしは不安も多く,最初はどうなることかと思った。しかし,台湾での日常は毎日が新鮮で,自分の成長を実感できるものだった。留学前は殆ど喋ることができなかった中国語も,今では,たどたどしいながらも,自分の言葉で喋ることができる。何よりも,台湾で作った新たな人間関係は,私の人生をより良いものへと変えてくれるだろう。現在も何人かの友人がすでに日本を訪れ,私に会いに来てくれている。留学自体は1年で終わりだが,私と台湾とのつながりは,今後消えることはないだろう。


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