学長企業訪問レポート 山形大学トップページへ
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第1回
後藤電子株式会社(寒河江市)
第2回
山形クリエイティブ株式会社(YMCC)天童工場
第3回
山形スリーエム株式会社(東根市)
第4回
株式会社ヤマザワ、株式会社サンコー食品(山形市)
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第5回〜

山形大学学長 仙道富士郎
 はじめに
 去る日、山形県の幹部の一人に「産・学・官連携と言うけど、学長は山形の企業を見学したことがあるの?」と問いただされた。一瞬言葉につまってしまった。次に私がうやうやしく発した言葉は「どんな会社に行ってみたらいいでしょうかね」というものであった。彼が口にした会社の名前を忘れないようにメモ帳に記した。
 こんなことから、私の企業訪問は始まった。以下は私の驚きの記録である。

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第4回 株式会社ヤマザワ、株式会社サンコー食品(山形市)
     2006.2.14(火) 9:30〜


サンコー食品の工場見学
山澤社長へのインタビュー
 訪問はまずヤマザワ資本100%の子会社、サンコー食品の工場見学から始まった。白衣を着て帽子をかぶり、白い長靴をはくと、なぜか少し緊張する。山形大学農学部出身の遠藤善也社長に案内してもらう。見学は納豆製造工場から始まった。大豆を大釜で茹で上げる工程は納得しながらの見学であったが、納豆菌による発酵が、店頭で売られているパックの中で行われていることは驚きであった。大きな入れ物の中で発酵が行われ、それが、パックへと小分けされるものだとばかり思っていたので・・・・。
 見学は製麺工場へと進み、最後は出来たての牛乳をごちそうになり終了したが、パートで働いている女性社員も含めて、皆にこやかに挨拶してくれたことが印象的であった。
 山形県民の巨大台所拝見と言う感じであったが、見学を終了した後、遠藤社長がつぶやいていたことは、「食」の問題が、夢やキャッチフレーズだけでは片付けられないことを示唆しているように思える。「地産・地消は大切だが、この工場で使う大豆を全部地元産でまかなうとすると、この辺の大豆の収穫量から計算すれば、毎日2町歩に作付けされた大豆を全部使わなければ間に合わないんですよね」。こんなことを少なくとも私は想像だにしたことがなかった。食と農の問題を地域における環境の循環の問題として把えなければならないということに異をとなえるものではないが、私達は何をどれくらい食し、それはどのようにして賄われているのかという現状をしっかりと見据えた上で、これを論ずるのでなければ、それは上すべりの実のない議論に終わってしまうことを実感させられたひとときであった。
 サンコー食品工場見学を終え、ヤマザワ本社に向かい、山澤進社長のインタビューへと臨んだ。いつお会いしてもそうなのだが、山澤社長はあらゆる情報に対するアンテナを張り巡らし、大事な情報に関しては話し手にその情報についての意見を求められる。不勉強な私などはいつもどぎまぎしてしまう始末である。このときも政府が行っている大学と地域行政・地域住民の共同による地域再生プロジェクトのことを話し、山形大学もこのプロジェクトに応募していることを説明したところ、早速に大型ノートのメモ帳を持って来て、メモを取り始められた。ノートにこれまでどんなメモが残されていたのか覗いてみたい誘惑に駆られたのは私だけではあるまい。
 不勉強な私は知らなかったのだが、ヤマザワの販売実績の40%以上は宮城県内で展開されているとのこと、ヤマザワは県域を越えた広域圏企業に成長したわけだが、その発展の秘密は那辺にあるのだろうか。経済音痴がいうのもおこがましい話であるのだが、それはひとえに山澤社長の若さ溢れる前進力によるものであるように思える。情報収集のために常にアンテナを延ばし、すばやい適応力を示す様はまさに若者のそれである。
 それにしても、商工会議所の新年会で、重い杵を軽々と持ち上げて餅をつく山澤社長には驚かされてしまった。

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第3回 山形スリーエム株式会社(東根市) 2005.11.29(火)13時30分〜

長尾英夫社長
我が国の97%のシェアを持つ
道路標識
 ロータリークラブで御一緒いただいている長尾英夫社長に玄関先まで出迎えていただき、すっかり恐縮しながらまずはパワーポイントを用いたスリーエムの説明を伺った。その後長尾社長を先頭に工場見学は進んでいったが、広い工場を次から次へと分刻みで各部署の分担者の説明が続く。実にシステミックに私達の見学に対応していただいているのが実感として伝わってくる。
 私がまず驚いたのは、実に多岐に渡る製品をこの工場が作り出していることである。電気製品のコネクター、食器洗いスポンジ、ジャケットに入れる防寒繊維、そして我が国の97%のシェアを持つ道路標識…。しかも一種類の製品でも、多くの異なった規格の製品を生産している。我が国の戦後の経済的な発展を支えた、政府主導による同一規格品大量製産の対極にある生産方式をスリーエムは採用していることになる。21世紀の知識基盤社会においては、均一性ではなく、個性や独創性が重視されると言われているが、それを先取りした企業のプロトタイプということになろうか。
 「どうしてこんなに多種類の、色々なものを作れるのですか」との私の問いに長尾社長はいとも簡単に「スリーエムだからですよ」とニコニコしながらおっしゃる。「そう言われてもなあ」と納得のいかないまま工場を辞した。
 ところが、頂戴してきた日経BP社発刊の「ケーススタディ住友スリーエム−イノベーションを生む技術経営−」を読み終えたいま、グローバル企業スリーエムの奇跡が少し分かったような気がしている。
 つまるところ、人間の力をいかに有効に活用するかということにたえず意を用いてきた歴史のなせる技なのである。持ち時間の15%は自分の独自の研究に用いることが出来る制度など、個人の自発性を最大限活用していく改革のやり方は、まさにいまどきの国立大学の改革に求められているものである。「大学は企業とは違って自由度が高く…」云々と宣う輩が大学にいるが、とんでもない話で、発展をとげる企業には、人間を大切にする論理が内在していることを実感させられた。
 それにしても、毎日お世話になっている貼り付け自由のメモ用紙「ポスト・イット」の開発のプロセスなどを上記の本の中で読んで感じさせられるのは、製品開発におけるジグザグの動きの大切さで、いまどきの我が国の科学技術立国における一直線思考の危うさを想わせられる。
 スリーエムCEOマックナーニ氏の「good enough(これで十分)ではいけない」というスローガンを我がものとせねばなるまいと胸に秘めながら、冊子購読も含めた私のスリーエム訪問は終了した。つまるところ、今回の見学は「工場見学から大学改革の道を学ぶ」という、私にとっては何ともありがたい工場見学であった。

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第2回 山形クリエイティブ株式会社(YMCC)天童工場 2005.11.24(木)10時〜

工場の説明を聞く
工場を見学する
 まず、恐縮したのは、会社見学当日来山出来ないということで、日本電子(YMCCの親会社)の仙台支店の支店長が、わざわざ学長室までお出で下さったことである。話し合ってみれば、同じ北大出身でしかも、仙台寮に寄宿していたことのある「同じ釜の飯」の関係にあることが分かり、話ははずんだ。
 YMCCは極めて若い会社で、2002年に設立された。日本電子の電子顕微鏡の主要生産拠点である。しかし、この場合「若い」ということは、この会社の評価をいささかも落とさない。というよりも、速いスピードで成長し続ける若者の新鮮さ、すがすがしさという表現がピッタリする。汗を流しながら説明を続けられる渡邊末廣社長は、失礼ながらお年よりずっとお若く見える。また通りすがりに出会ったすべての社員が、元気に挨拶をしてくれたのも何とも心地よかった。
 学長訪問として最も嬉しかったのは、色々あった候補地の中から山形に工場を設置することになった最大の理由は、山形の「ものづくりの伝統」を重視したということを聞いたときである。事実、電子顕微鏡の多くの部品は山形の下請工場で作られている。私が「下請」という言葉を使うと、「パートナーと言います」と訂正された。そして16のパートナーで構成されているPS会が作られ、PSから出向して働いている人達も見うけられる。PSの人達が共同で使用できる装置などの説明を受けると、地元企業を大切にしている様子が伝わってきた。
 これから本格的な生産が始まるという、病院の検査センター等で使用される「Bio Majesty」と銘々された生化学自動分析装置が、この天童工場からどんどん出荷される日が早く来ることを祈らずにはおられない。学長が応援してもいかほどのこともないことはよく分かっているが、それでも応援したくなってしまう会社であった。

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第1回 後藤電子株式会社(寒河江市) 2005.10.25(火)10時〜

後藤芳英社長
後藤電子株式会社本社社屋
 応接室で待っていると、まだ若い後藤芳英社長が部屋に入ってきた。なぜか部屋の空気がピーンと張る。山形の産業界の重鎮の一人が「将来山形を背負って立つ男」と評していたが、うべなるかなと思わせる何かを感じさせる人である。
 それにしても、真四角の電線とはまた何という発想の転換であろうか。電線が丸いものであるということは、子供でも知っている既成の事実であるのに、それを越える。そして、「21世紀の電線は丸から真四角に替わる」と断言する。
 通常は邪魔になる半導体の発熱を利用した融雪装置の開発もまた、逆転の発想である。「どうしてそういうことを思いつくのか」という問いは愚問だったようで、はっきりとした答えは聞けなかった。要するに閃きなのだ。それにしても、後藤社長は法科出身で、理系ではないという話は、どうして文系出身の人に高度な工学的知識を必要とするものづくりに関する発見ができるのか、小者の私にはいまだにより理解できない。
 一時間以上のレクチャーを受けて、おいとましようと玄関口に向かう途中に製品展示コーナーがあった。後藤社長はその一つを取り上げ、にわかに早口になり熱のこもった説明をはじめた。私はそのとき思った。何はともあれ、この「物」に寄せる情熱こそが、革新的な製品の開発につながっていくのだなと…。

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