【卒業生寄稿】笑う門にはワクワク来る

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プロフィール

菊地 航平(宮城県名取市出身)
令和3年3月 人文社会科学部人文社会科学科 経済マネジメントコース卒業
現在:山形県河北町地域おこし協力隊(「株式会社かほくらし社」の業務を担当)

平成29 (2017) 年4月に山形大学へ入学。「山形って遊ぶ場所どこにもないし、冬は大雪で大変そう…。4年間で出ていってやる!」と思っていた私が、山形に残って仕事をする事になるなんて…。入学時は想像もしていませんでした。

校友会事務局長の樋口さんより、卒業生寄稿を依頼され、折角の機会なので大学生活を振り返りつつ、これからについて考えてみたいと思います。何を書けばいいのかぼんやりしたままつたない文章で書き進めますので、ぜひ優しい気持ちで読んでいただけると幸いです。

山形大学入学

大学入学の決め手は、『宮城の実家から通える国公立大学』でした。三兄弟の次男である私は、これまで親孝行など全くしたことがありません。ならばせめて金銭面での負担をかけさせたくないという思いで受験を決め、無事合格することができました。「将来の事などまだまだ考えたくない…」。当時の私にとって、大学での4年間とは、将来から目を背けるためのモラトリアム期間でした。

大学1年生―バイト漬けの日々と大きな失敗経験―

1年生時は、夜20時から朝5時まで宮城のファミレスでバイトをしていました。宮城からバスでの通学をしていたので、バイトが終わり一睡もせずに大学に向かい、通学のバスや授業中は寝てばかりでした(テスト期間の勉強は友人にかなり助けられました)。

サークルは「チーム道草」という山形県金山町や新庄市等を中心に地域活動を行う100人規模の大きなサークルに加入しました。「先輩が可愛かったから。」という不純な動機で加入を決め、冬には、「同級生に促されたから。」という受け身な理由で副代表に就任することになりました。活動はそれなりに楽しく、友達もたくさんできましたが、当時はバイトが忙しく活動参加率はそれほど高くありませんでした。

1年生も終わりに差し掛かる頃、とある軽率な行動により、3ヶ月の自宅謹慎をすることとなりました。大きな反省とともに過ごした日々は、とても苦しいものでしたが、「なぜ大学に通っているのか?」を問い直す良い機会となりました。(決して懲戒処分を受けるような行動を肯定するわけではありません。)

当時、大学を辞めようとまで悩んでいた私のことを、励まし、救ってくれたのは「チーム道草」の友人や先輩方でした。

「サークルのみんなへ恩返しがしたい。みんなが入って良かったと思えるサークルにしたい!」この時、初めて私が山形大学に通う本当の理由が見つかりました。

大学2.3年生―「チーム道草」に没頭した日々―

そんな経緯もあり、2年生時は、長期バイトを辞め、ひたすらサークルに没頭しました。(サークルに集中したかったので、収入源は日雇いで高単価のバイトになりました。)サークル内で様々な問題が多発し、大変な時期ではありましたが、同期や先輩・後輩・地域の方のおかげもあり乗り越える事が出来ました。秋には代表に就任し、より責任ある立場としてサークルの運営に携わることになりました。年間で金山町に約60回、他地域を含めると80回近く、宮城から片道で3時間以上かかる地域に通い詰め、365日サークルの事だけを考えていました。この1年間は、東京でプレゼンする機会を頂いたり、「山形ふるさとCM大賞」で地域の方と共に作ったCMで優秀賞を頂いたり、山形大学校友会から「平成30年度ベスト活動大賞」に選出されるなど、サークルとして、すごく印象深い年になりました。


「第19回山形ふるさとCM大賞」金山町として優秀賞を獲得。

3年生時では、地域の方のお力添えもあり、「やまがた若者チャレンジ応援事業」という県の事業に事業採択を受けることができました。マップ制作・ツアー企画・地域フェスの3つの企画を、同期の仲間がそれぞれリーダーを務め、当時の1年生と協力しながら無事大成功という形で事業を終える事ができました。この他にも、サークルとして、これまでに無かった企画がたくさん生まれ、地域の方やチームの仲間には、とても良い経験をさせていただきました。


やまがた若者チャレンジ応援事業「Kaneyama lovers fes」開催。

大学4年生―コロナ禍での就職活動とキャリア支援活動-

4年生時では、コロナ禍の就職活動でしたが、3年生から少しずつ進めていた事もあり、いくつかの民間企業から内定を頂く事ができました。

一方で、自分の"やりたいこと"に確信が持てず、zoomを通して、様々な学生や社会人とお話しする中で、次第に"地域"というキーワードが浮き彫りになりました。チームの仲間が好きで取り組んでいた地域活動でしたが、いつの間にか"地域"自体にワクワクや可能性を感じるようになっていました。「地域に面白い形で携わる仕事がしたい!」という想いが高まった結果、2度目の就活を決意しました。幸運なことに、とある地域コンサルの会社に出会い、その会社の社長から山形県河北町を紹介していただいた事がきっかけで、とても熱い想いを持った方々と、ワクワクする仕事を見つける事ができ、河北町の地域おこし協力隊として、その仕事に携わることとなりました。

また、就活終了後は、仙台の人材系の事業を行う会社で長期インターンはじめ、山形大学では「ゼロカツ」という就活支援を立ち上げ、就活生のキャリア支援に携わりました。母校の学生や東北の学生のワクワクしたキャリア選択に伴走したいという想いで始めた活動でしたが、想像していたより多くの就活生の隣で3月まで伴走する事ができ、嬉しい言葉や報告をたくさんいただきました。


「ゼロカツ」として仙台の就活支援団体とコラボした少人数オフラインイベントを開催。

大学3.4年時の国際金融論ゼミでは、金融や会計の知識を実践的に幅広く学びました。

河北町地域おこし協力隊として

河北町の地域おこし協力隊としては、地域商社「かほくらし社」の業務に携わっています。2021年4月設立の新しい会社で、商品やサービス等を通じて、河北町の人を思い浮かべて頂いたり、河北町の暮らしを感じて貰えるようなプロデュース・発信をしていきます。個人としては、地域とのコミュニケーションをさらに深め、新たなアイデアを企画・実践していき、新しく始まる会社とともに、河北町の発展に大きく貢献できる存在として成長していくつもりです。山形県内でも小さな町ではありますが、『革命を地方ローカルから』これから最も熱くなる河北町の躍進に、ぜひ注目してください!


高付加価値野菜の生産“かほくイタリア野菜”

スリッパ生産量全国1位“かほくスリッパのブランディング”

東京の三軒茶屋にアンテナショップ“かほくらし”オープン

おわりに―出会いを大切に―

偶然出会い、入学した山形大学で、4年間で出会ったたくさんの方々との"ご縁"で、今現在すごくワクワクした人生を送れています。山形で仕事をすることになったのも1つの"ご縁"からでした。

現在は、コロナ禍で世の中が大きく変化し、人と会う事がなかなか難しい世の中になりましたが、こんな時代だからこそ、新しい出会いの形が生まれ、そこから新しいワクワクが生まれるはずです。

学生の皆さんもぜひ"出会い"を大切にして、時には勉強も頑張りながら、充実した大学生活を送ってください!そして面白い事を企てる際は、何か協力できたらと思いますので、ぜひお声がけください!

長々と自分語りとなってしまいましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


筆者