【卒業生寄稿】物理も化学もダメダメだった私が博士後期課程を修了して助教になった話

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プロフィール

矢野 裕子(愛知県豊田市出身)
令和2年9月 大学院有機材料システム研究科博士後期課程 修了
現在:秋田県立大学助教

物理も化学もダメダメだった私が博士後期課程を修了して助教になった話

こんにちは。卒業生の矢野裕子です。私は、現在秋田県立大学で助教をしています。山形大学に入学した当初は、まさか自分が大学教員になるなんて夢にも思いませんでした。この度、寄稿の機会をいただきましたので、大学時代の思い出とその時何を考えていたのか、振り返りながら綴れたらなぁと思います。

山形大学との出会い

高校生の頃の私はあまり勉強熱心な方ではありませんでした。当時は勉強よりも部活や趣味が優先の忙しい毎日を送っていました。部活は弓道部と和太鼓部を掛け持ちしており、週5日練習をしていました。夜遅くまで部活の練習をして家に帰ると、趣味の裁縫をしていました。毎日少しずつ、月に1着くらいのペースで服を作っていたと思います。

高校3年生の夏、他の生徒が進路を定めてゆく中、私はぼんやりと「国立大学に入れたらいいな」くらいにしか考えていませんでした。そんな中、なんとなく参加した山形大学のオープンキャンパスで転機が訪れました。予約していた模擬講義を終えて、迷子のようになりながらたまたまふらっと足を踏み入れたのが西岡・香田研究室(当時:香田・西岡・宮田研究室)の説明会会場でした。高校生にとって研究室は馴染みのあるものではなく、何が何だかわからないまま中へと招待されて説明を聞きました。少し強引だけど明るくて元気で楽しそうな学生のお兄さんたち。そして衝撃の「工学部なのに米粉パンを作っている」という研究内容。物理も化学もダメダメだった私には詳しいことはよくわかりませんでしたが、私もここで米粉パンの研究がしたい!と思いました。

システム創成工学科に入学して

私の入学したシステム創成工学科は他学科の研究室に配属できるため、1年生の頃から西岡研究室の研究室見学に行っていました。高校生の頃、オープンキャンパスで受けた印象と変わらず、工学部で米粉パンの研究をしている西岡研究室に当時の私は興味津々でした。この頃は、研究室の生活について深く考えていませんでしたし、大学の先に大学院があることも意識していませんでした。恥ずかしながら、大学院には博士前期課程と後期課程があることも知りませんでした。ただ米粉パンの研究がしてみたいという思いで足を運んでいました。

この頃の私は、研究室に入ったら毎日楽しくパンを焼いて、みんなと同じように就職活動をして、就職するんだろうなぁと思っていました。この頃は、昔から趣味だったお裁縫に関する仕事がしたいと思っていましたし、1年生の時に応募したパテントコンテストで「糸通し器」の特許を取得した経験もありましたので、某ミシンメーカーに就職できたらいいなぁなんて考えていました。

念願の米粉パンの研究

3年生の後期、無事、西岡研究室に入ることができた私は念願の米粉パン研究をすることになりました。研究テーマは「米の品種が米粉パンの製パン性とレオロジー特性に与える影響」です。この時もし私が西岡先生からこのテーマをもらっていなかったら、今の私は全然違う仕事をしていたと思います。そのくらい、私にとって人生を大きく変える研究テーマでした。ずっとやってみたかった研究ができて、毎日楽しく研究活動をしていました。もともと4年生で卒業して就職しようと思っていましたが、西岡先生からの勧めもあり、もっと研究を続けたくて進学することに決めました。

人生で一番勉強した大学院入試

大学院進学を志望したからには入試を受けなければいけません。大学院入試は私にとって人生最大の関門でした。私は高校生の頃から勉強に熱を注いだことがありませんでした。大学院の入試科目は高分子学科の専門科目でしたが、システム創成工学科の私は高分子の専門科目の講義に着いていくのも精一杯でした。そんな試験科目での入試だったので、絶対落ちてはいけないと、大学院入試は間違いなく人生で1番勉強しました...。

必死に勉強した甲斐あって大学院入試に合格できた時は喜びよりも安堵の方が大きかったです(笑)。

楽しかった研究活動

大学院に進学してからは、とても有意義な研究生活を送ることができました。ずっとやりたかった研究テーマを与えてもらったこともあり、本当に楽しく研究活動を行なっておりました。研究は楽しいことばかりではないと覚悟して進学したつもりだったので、これに関しては本当に恵まれていたと思います。当時の指導教員だった西岡昭博先生は私にたくさんの学会やイベントに参加する機会を与えてくださいました。中でも一番思い出に残っているのは、第63回食品科学工学会年次大会で最優秀発表賞を受賞したことです。大きな大会で表彰された経験は、私に自信を与えてくれました。進路に関しても、この辺りから「研究職もありかな?」と思い始めていたと思います。しかし、この時もまだ、大学教員を目指すことになるとは思っていませんでした。ただ研究が楽しくて、この時間がずっと続けばいいのにと考えていました。

進路選択での葛藤

修士1年の秋頃には人生2回目の進路選択を迫られます。普通なら就職先を真剣に考えなければならない時期なのに、私は全く企業に就職して働く自分の姿を想像することができず、就職活動に向き合う気になれませんでした。そこで私は大学に残る方法を考え始めます。大学に残る手段は様々ありますが、その中で最も前向きな方法だったのが、博士後期課程に進学することだったので、進学を決意しました。流石にこの決断をするのには少し勇気が必要でした。私には、「どうしても博士後期課程に進学しなければならない理由」がなかったからです。博士後期課程に進学する大多数の方は、博士の学位がなければ就けない職に就くことを目標にそれなりの覚悟を持って進学すると思います。そんな中で私が考えていたことは「大学に残ってもっと研究がしたい」でした。流石に自分の考えが世間とは少し離れていることに気が付いていましたし、本当にこれでいいのかと悩むこともありました。特に、就職活動中の友達から「矢野ちゃんの実績なら苦労せずにどこでも就職できそうなのに何でわざわざ大変な道を目指すの?」と言われた時は、とても答えに悩みました。我ながら、友達がそう言ってくれるのならそうなのだろうと思いましたし、学位を取りたい理由があるわけでもなく「もっとこの時間を続けたいから」という理由で進学を目指すのは変わっているよなぁと思いました。

なんだかんだ進学して

博士後期課程はジェットコースターのようにあっという間でした。冷静に振り返るとたくさんのことを経験してきましたが、本当に月日の流れが早く感じました。いろんなことを考えながら実験を進めていると、自分が何をしていたか覚えていなくて、三ヶ月前の実験ノートを見返すと、「こんな実験したんだっけ!?」って驚いていました(笑)。でも、本当に充実した毎日で、色々悩みましたが進学してよかったと思いました。

この頃になると、この先もこの生活を続けるためには大学教員になるしかないと気付きました。博士後期課程も修了が近付く頃、秋田県立大学で助教の公募があるという情報を得ました。この時、私は何がなんでもこの公募に通って秋田県立大学の助教になるしかない!と思いました。実は、私が学部3年生の頃から取り組んでいた研究テーマは秋田県立大学の藤田直子先生との共同研究で他の大学よりもご縁を感じていました。本当に無謀なのですが、就職活動は秋田県立大学1本に絞っていたため、もし落ちていたらと思うとゾッとします。

助教になって

そんなこんなで無事助教になって、そろそろ1年が経とうとしています。まだ慣れないことばかりで同じ学科の先生方に助けてもらってばかりですが、とてもやりがいを感じて仕事をしております。講義や学生実験をしている時は、注意深く学生を観察しながら慣れない講義を進めるため、終わるとヘトヘトになっていますが、研究の実験をしている時は学生時代の気分に戻れます。今では、学生の時に色々悩みながらもこの道を選んで本当に良かったなぁと思います。今もし進路に悩んでいる学生さんがいたら、「こんな人もいるんだ」と少しでも参考になったらなぁと思います。


博士後期課程の公聴会を終えてホッとする私と西岡・香田研究室の皆様

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