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沖浦雛 工学部 応用生命システム工学科 1年

派遣期間:平成29年2月27日~3月14日(16日間)

日本語教室での活動
 ラトビア大学への派遣が決定し、ラトビアに約2週間滞在した。大学の日本語教室は月曜日から金曜日の17時30分から19時までの90分の講義ひとつだけだった。派遣期間中、最大で教師が8人いたため、生徒をレベルで分けて講義をした。私はビギナークラスを担当したが、ビギナーの生徒が1番多かったので他の学生大使の人と分担して少人数体制にした。ビギナークラスを受講しに来てくださった生徒の多くは日本語自体に触れることが初めてだったため、まず初めに日本語は3種類の文字を用いることを説明した。ひらがな、カタカナ、そして漢字の3種類である。そこで苦戦したことがひらがなとカタカナを使う場面の違いだ。私を始めとする日本人は普段何も考えずひらがなとカタカナを使い分けているが、母語が日本語ではない彼らにとってその違いがわからないのは当然のことである。日本古来からあるものにはひらがなを、外国から来た外来語はカタカナを使うと説明した。次に苦戦したことが「ら行」の発音だ。日本人が英語の「R」と「L」の発音に苦戦するように、彼らもまた「ら行」に苦戦した。感覚的にはRとLの間の発音なんですよ、と説明した。講義の回数を重ねるたびにひらがなやカタカナをスムーズに書き、発音もできるようになった。日本語教室が終盤に差し掛かる時には、動物や食べ物など簡単な単語を習得し、私が独自で制作したひらがなとカタカナのカードを用いて、覚えた日本語の単語を作ってもらった。彼らにとってカタカナで表記する外来語は英語と発音が近く覚えやすいが、ひらがなで表記する日本古来の単語は覚えにくいとわかった。
 また日本のお土産として抹茶のキットカットを渡したのだが多くの生徒が抹茶というものを体験することが初めてだったらしく、とても初々しいい新鮮な反応をしてもらえたので嬉しかった。

日本語教室以外の交流活動
 ラトビアに来て私が言語において最も驚いたことが「みかんとオレンジ」に違いである。みかんは英語でオレンジだと思っていたがオレンジはみかんよりも大きくみかんとは別物である。みかんは英語でmandarinとラトビアに来て私は学んだのである。生徒と講義終わりにスーパーで買い物しているときに果物コーナーで発見し、学んだなんとも不思議な体験だった。
 週末にはバスでリトアニアに訪れた。十字架の丘と呼ばれる名前の通り、十字架で溢れている観光地に行った。大小様々な十字架がありキリストの姿も様々で、中にはブラジルの観光地のひとつでもあるコルコバードのキリスト像によく似たものもあり、キリスト関係であれば何でもいいというヨーロッパらしい考えだと思った。湖の真ん中に聳え立つ赤色の城で有名なトラカイにも訪れた。当時の衣類や家具、陶器など様々なものが展示されておりとても有意義な時間を過ごすことができた。
 このように講義終わりにスーパーや夜ご飯を食べに行ったり、週末を使って他の国を訪れたりと講義以外にもラトビア大学の生徒と交流が出来たのでとても楽しかった。

目標への達成度と努力した内容
 学生大使の目標である①「グローバル人材」に希求される「自己認識と自己成長」の在り方及び日本文化について深く理解できるようになる。②「グローバル競争社会」の姿をはじめ、相手国文化を深く理解できるようになる。③人間としての基本的な「生き方」を身に着けることができる。④異文化間コミュニケーション能力の向上及びアイデンティティ(Identity)の確立を図ることが可能になる。の4つの項目はすべて達成出来たと思う。しかし②の相手国文化についての理解は、まだまだ知れてないことが多くあると思うのでこれからもラトビア大学の学生や学生寮で出会った私と同じようにラトビアに留学している外国人とSNSなどを通して交流していきたいと思う。

参加した感想
 今回のプログラムの出国日時が迫るたびに不安が募り、学生大使を希望したことを少し悔やんでいたが、飛行機は私の気持ちとは関係なしに飛ぶしラトビアには到着する。行ってみたら自分の性格上で日本だから仕方ないと割り切れることが出来た。日本語教室では日本語が通じるラトビア大学の生徒がいたが学生寮には1人もいなかった。そのため何が何でも英語を使うしかなかった。拙いながらも英語で自分の言いたいことが言えたときはとても嬉しかったし感動したことを今でも鮮明に覚えている。しかし自分が言いたいことの半分も伝えることが出来なかったので、もっともっと英語を勉強して話せるようになりたいと思った。

今回の経験による今後の展望
 今回の学生大使派遣プログラムを通して言語についてもっと学んでみたいと感じた。日本人だからこそ感覚で使っている動詞の変形や方言など日本語について日本人だからこそ考え、思考し、研究してみたいと思った。元々言語というものに興味を持っていたが、この日本語教師を体験し、改めて私たちが普段使っている日本語について考えることが出来たのでとても大きな収穫になったと思う。また大学1年間で学んだ韓国語をこれからも自分で勉強を続けていこうと思うこともできた。言語というものは人間が産まれてから死ぬまで使う、生きていく上で最も必要な要素のひとつである。もっと詳しく知りたいと思うのもそれはある意味で普通だとも思った。今回のプログラムを受講していなかったら、ここまで深く日本語について考えることがなかったと思うので、このプログラムに参加してよかったと心のそこから思う。また機会があれば挑戦したい。