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校長室だより

「スポーツフェフィバル」を「みのり班」で行う意味を考える

8月26日 全校朝会 校長講話

今日は、みのり班のことについて話をします。みのり班活動を、この附属小学校ではとても大事にしています。毎年、4月の1年生を迎える会から始まって、みのり会食、みのり清掃、みのり遠足、みのり登山と続いていきます。今年は、それらに加えて、9月に行われる運動会もみのり班を中心とした「みのりスポーツフェスティバル」として行うことになりました。そして、今、皆さんはそのための学習を進めています。

では、なぜ、運動会を「みのりスポーツフェスティバル」としてみのり班で行うことになったのでしょうか。このことは大事なことなので、この場であらためて話をしたいと思います。みのり班は、学年や学級とは異なり、1年生から6年生までで構成されています。年齢の異なる人たちの集まりです。本校で異なる学年の人と学習できる場は、このみのり班だけです。

みのり班で掃除をしています、みのり班で楽しく話しながらお弁当を食べています、みのり班で班長を中心に遠足の計画を考え、楽しく安全に馬見ヶ崎川で活動しています。そういう行動がみのり班活動としては表に見えますが、大事なのは表には見えにくいそれを支える「こころ」や「気持ち」の部分です。学年の異なる「相手のことを考える」、「相手に気持ちを伝える」、「相手の気持ちを受け取る」ということを重ねて、互いの「つながり」や「かかわり」をつくろうとするところです。班長の6年生は、どう話をすれば考えていることがわかってもらえるだろうかなどと、いつも考えてくれています。うまくいったかなと思ってはちょっと喜び、できなかったと思ってはどうすればよかったのかなと振り返ってくれています。ちょっとおかしいと思ったとき、どんな言葉でその課題を班全体のものにするか考えている班長もいると思います。活動を振り返って、みんなで考えて、課題をみんなのものにして、またやってみる。学年が違うということは、からだの大きさも気持ちの在り方も違うということです。そういう人たちとの活動だから大変なことが多いのだけれど、それを乗り越えてやり続けていく。少し大きな視点から言えば、それをすることが、社会を、世の中をつくっていくということだと思っています。そして、それをやろうと努力できること、努力し続けられることで、人間として成長できるのだと思っています。そこにみのり班活動の価値があると思っています。そういうみのり班活動だからこそ、スポーツフェスティバルの学習でもその中心に据えてやってみたいと考えているのです。

でも、スポーツフェスティバルでのみのり班活動には、これまでの活動にはなかったことが、1つだけあります。それは班ごとに競争するということです。競争ですから、勝つということと負けるということがあります。勝つために、自分の組の点数を上げるためにしっかり練習する、いろいろと工夫するということはとても大切なことです。それと同じくらい、勝ったとき班としてそれをどう受けとめるか、負けたときどう受けとめるかが大切になります。勝敗というものは、ときに人をとても感情的にしてしまうことがあります。勝ち負けの結果でない、どんなところに価値を見つけられるか、どんなことを大事にできるかが問われることになります。リーダーとなる、ねむのき学年のみなさん、ひのき学年のみなさんを中心に、しっかり考えてみてください。私は、今のみなさんなら、「みのりスポーツフェスティバル」の学習においても、十分、期待に応えてくれる、やりきれると信じています。

暑い日がこれからも続きそうです。自分のからだ、仲間のからだにも気を配りながら、ねらいをしっかりもって「みのりスポーツフェスティバル」の学習を進めていきましょう。そして、はじめての「みのりスポーツフェスティバル」を意味あるものにし、この附属小学校の歴史に新しい1ページをつくりましょう。