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校長室だより

人として成長するために、失敗に気づき、活かしていきましょう

全校朝会の校長講話(平成22年12月9日)

少し前のことです。朝、校長室に3年生の○○君が壊れた鏡をもって、やってきました。教室で壊してしまったので、そのことをことわりに来たのです。朝早かったので校長室にやってきたのでした。あたり前の行動なのですが、私には心の中に残るものがありました。何日かするうちにその中身がわかってきました。それは、失敗をしてしまったのだけれど、それをごまかしたりしないで、しっかり受けとめて、その後の自分のすべきことを考え、それをやってくれた。そのことを受けとめることができた心地よさでした。

学校生活には○○君の例だけでなく、同じような失敗の例、そしてそれにきちんと対応した例はたくさんあります。忘れ物をした、友だちにボールをぶつけてしまった、イライラして友だちを押してしまったなどなど。でも失敗にきちんと対応するということの中には、当たり前に見えて大事にしたいことが2つあると思っています。1つは、失敗したその人自身の考え方です。失敗したとき、困ったな、どうしたらいいだろうと考えるうちに、「まあ、いいや」とか「ごまかしてしまおう」というような気持ちがつい出てきがちです。でもそうしないでしっかり自分の問題として受けとめ、向き合い、次の行動を考え、判断し実行しているということです。2つめは、失敗した当人とまわりの友だち、仲間との関係です。失敗した人にそれを知った周囲の人がどんな言葉をかけるかです。みなさんは、どんな言葉をかけていますか。その失敗を見て見ぬふりしたり、くすくす笑ったり、バカにしたりしているのか、それとも一緒に考え、どうしたらいいか声をかけたり手助けしたりしているかです。もし、失敗した人が笑われてしまうようなことがよくあるのであれば、その人はそれがとてもいやで、余計ごまかしたりしたくなってしまうという悪循環になってしまいます。失敗を活かすためには、それを自分の問題として受けとめられること、そしてその失敗を見たまわりの人が、当人にどんな言葉をかけるかということがとても大事だと思うのです。

ここまでは、失敗がはっきりわかる場合の話です。もう少し難しい例を2つ話します。1つめは本人がすぐには失敗に気づかない場合です。例えば、自分の言葉や行動が、自分がそうしようと思っていないのに、まわりの人を傷つけてしまっているようなときです。まわりの人からそのことを指摘されたとき、みなさんはどう受けとめていますか。「あっ、そうかもしれない」とちょっと立ちどまって受けとめていますか。それとも「そんなことないよ」と思ってとおりすぎていますか。自分は正しいという思いが強すぎたり、失敗に対して、それはだめなこと、いやなことをという思いが強すぎたりすると、どうしても「そんなことないよ」と思ってしまい、自分の姿を見失うことになりがちです。実際、このようなことは大人の間にもよくあります。別の言い方をすれば、それだけこういう状況で自分の失敗に気づくということは難しいということです。しかしその分、とても価値のあることになります。2つめは、成功した、うまくいったというときにしてしまう失敗です。うまくいって失敗するというとても変な話ですが、附属小のみなさんに考えてもらいたいので話をします。例えばこういうことです。何か物事がうまくいってとてもうれしくなり、それが高じて有頂天になってしまったり、それが高じてできなかった人を馬鹿にしたり、あるいはまわりに対してそういう雰囲気のある言葉や行動をとってしまったりするという場合です。成功したのは「僕だけ」「私だけ」という気持ちが強すぎると、その成功が、実は失敗に結びついてしまうということなのです。成功した、うまくいったという事実は残りますが、それが本当に自分のためになっていくかは、そのときの、あるいはその後の当人の行動によるのです。つまり、その成功をまわりの人が「よかったね」と思ってくれるようにならないと本当の成功ではないと思うのです。

失敗をしない人はいません。私もよく失敗してしまいます。大切なことは、失敗のないことではないと思っています。失敗に気づき、それを活かして成長できることです。私たちの学校では、何かちょっとした失敗があり、それを先生方がみなさんにそのことを話して、一緒に考えていこうとしたとき、失敗をした人が必ずそれに気づき、場合によっては「それ、私かもしれない」と名乗り出て、それをその後の成長に結びつけている姿がたくさんあります。私は校長として、こういう姿があることをとてもうれしく思っています。この学校の宝物だと思っています。私は、失敗のないことより、それに気づき、それを受けとめ、活かせることにより大きな価値があると考えているからです。そういう雰囲気が、空気が、文化が、私たちの附属小学校にはあると思っています。それをこれからも大事にしていってほしいと願っています。