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校長室だより

101名の1年生を迎えて

入学式での校長式辞(平成25年4月8日)坂本澄子

少し前のことです。ある学年の数名の人たちと話をする機会がありました。彼らは、朝、教室で、ボールを使って遊んでいて、誤って教室の蛍光灯を壊してしまいました。その後、謝るとともに後片付けをしました。幸いなことに怪我をする人もいませんでした。その後、彼らと話したとき、「教室だけど遊びたい気持ちの方が強かった」「楽しそうなので僕もやりたいと思った」「大きなことにはならないだろうと思った」。そして「これから二度としません」という言葉がありました。ここまではよくある話です。去年の今頃、私は、全校朝会で「失敗に気づき、それを活かしましょう」という話をしました。

でも、「二度としない」という言葉を聞いて、ほんの少し違和感を持ちました。もちろん、その言葉は信用できると思っています。その違和感というは、私たちの心の中には、いつも失敗や悪い行動につながる部分があり、そのことにもう少し向き合ってもいいのではという思いです。今回のことでいえば、「教室だけど遊びたい」「楽しそうなので」「大したことにはならないだろう」という気持ちに対してです。よくない行動に結びつきやすいこころに対してです。もう少し広げて言うと、「イライラする気持ち」「不安なこころ」などもその仲間です。そういうこころや気持ちは、人であれば誰にでもあります。そしてそれらは、私たちの中で、いつも、大きくなったり、あるいは、見えなくなったりしています。私たちは、そういうこころや気持ちを持ちながら生活しています。そういうこころや気持ちは、ないととても楽なんだけど、いつも確かにあり、ときどき顔を出すのです。そして、それらは、私たち人間の確かに一部であり、もしかしたら大事な部分でもあると思います。だから、彼らが「二度としない」と言ったとき、そのことをしないことを決意することと同じくらい、一人ひとりの中にある、その行動をさせてしまった「こころ」が、「気持ち」が、これから先も、確かに、私たちの中にあるということを自覚してもらいたいと思ったのです。そして、それらの「こころ」は、私たちの中にずっとあり続けるのだから、どうつき合っていくかを考えてもらった方がいいと思ったのです。「イライラ」「不安」「大したことない」などの気持ちを持っていることは悪いことではありません。誰にでもあります。間違いなく私たちの一部です。それが問題になるのは、その「気持ち」や「こころ」が、その人のよくない行動に結びついてしまったときです。悪い気持ちを持っているから悪い人だというのではありません。悪い行動をするとその人は悪くなるということです。その「こころ」や「気持ち」をそのまま行動に移してしまうことが悪いことなのです。「不安」や「イライラ」する気持ちが、友だちへの「悪口」や「いたずら」に結びつくこともあります。友だちが困っているのを見て喜んでしまうということもそうです。不安な気持ちが、友だちやお母さんなどへの「うそ」や「秘密」になることもあります。

悪いことをしてしまってから、自分の失敗に気づき、そこから学ぶことは、とても大事なことです。でも、できたら、それらの行動に結びついて「悪いこと・行動」になってしまう前に、自分の気持ちの中にある「やっかいなこころや気持ち」に気づき、それに向き合い、自分で、行動に結びつかないようにコントロールできなだろうかと思うのです。悪い行動にならないように、自分の中にある「やっかいな心や気持ち」と上手につきあえないかということなのです。

このことについて、先ほどの人たちに、具体的に考えてみてほしいと話をしました。自分の中に、悪いこと、いやなことに結びつく「やっかいな心や気持ち」が出てきたとき、それとどのようにつき合ったか、どう向き合うと行動まで結びつかないですませられたか、あとで聞かせてほしいとお願いしたのです。でも、このことは、人として生きていく上で、誰にとっても大事なことなので、附小のみんなに考えてほしいことだなと思い、今日、話をしました。  私も次回の全校朝会まで考えてみます。みなさんも、是非、考えてみてください。