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校長室だより

千歳山に思いを寄せて

8月の校長講話より(平成25年8月22日)坂本澄子

今年は長梅雨で、夏休みの前半は雨の日が続きましたが、8月に入ってからは夏の日差しが戻って本来の暑い夏休みになりました。

昨日からまた学校に元気な子どもたちの声がかえってきました。どの子も真っ黒に日焼けして、一段とたくましくなったようです。全校朝会では、千歳山の萬松寺に伝わる「阿古耶松」の話をしました。この秋に、全校でみのり登山をします。四季を通して私たちを見守ってくれる千歳山をより身近に感じ、一人ひとりが思いを寄せながら活動をつくっていけたらと思います。


長かった夏休みも終わり、昨日からまた学校生活が始まりました。この夏休み、皆さんは家族や友だちと様々な体験をして楽しい思い出ができたことと思います。私は、千歳山の萬松寺に伝わる「阿古耶松」に触れる夏になりました。それは、7月に山形で「阿古耶松」という能が上演されたのがきっかけです。皆さんは「阿古耶姫」の物語を知っていますか。

<あこや姫物語>

「昔あるところに、あこや姫という琴の上手な姫がおりました。ある夜のこと、姫が琴をひいていると、笛の音とともに一人の男が近づいてきて言いました。『私の名は名取の左衛門太郎です。あなたの美しい琴の音に惹かれてきました。』それからというもの、夜になると姫の琴の音に合わせて男が笛を吹くようになりました。

ところが、秋も深まったある晩、男は『実は私は最上の国、千歳山の老松です。残念ながらここへ来るのも今夜が最後です。』と言い残し姿を消してしまいました。その頃村では、名取川の大橋が洪水で流され、代わりの大木が見つからずに村人は困り果てていました。そしてとうとう、千歳山の老松が切られることになったのです。ところが、大勢の木こりがどんなに頑張っても木はびくりともしません。そこで、村人に頼まれて姫が老松に会いに行くと、今まで動かなかった大木が、水に浮く舟のように揺れ始めたのです。そして老松は無事名取川の岸まで運ばれていったのでした。それから後、姫は出家し千歳山に庵を建て、老松の切られた跡に若松を植えて菩提を弔ったそうです。それが萬松寺の始まりとされています。」

この物語が能として上演されることになったのは、室町時代に能楽を大成した世阿弥が生まれて今年で650年という節目の年にあたっているからです。そして観世流家元観世清和さんが舞を披露することになったのです。世阿弥が書いた作品11演目のうち唯一「阿古耶松」だけが、これまで上演されていなくて、家元の観世さんがここ山形の萬松寺を尋ね、数年かけて節や舞をつけて完成させたのだそうです。山形で能「阿古耶松」が演じられるのは今回が初めてのことです。

舞台は平安時代、陸奥国に赴任した貴族藤原実方が、山中で出会った老人に、阿古耶松について尋ねる物語。全国の松の名木の中でも出羽国の阿古耶松が一番だと褒めたたえています。

古典文学の能は一度見てわかるものではありませんが、パンフレットのあらすじを読んで『こんな世界かな』と想像しながら見ると、なんとか伝わってきます。能といえば櫛引町に伝わる黒川能しか見たことがありませんでしたが、阿古耶姫の物語を想像しながら見ていると、その荘厳な世界に引き込まれてしまいました。「阿古耶松」は山形県の文化の誇りです。全国、世界に広く知ってもらいたいと思いました。自分が生まれ育った山形、そして、千歳山を深く知り、誇りを持って他の県や国の人に発信できることは素敵なことです。これからも大事にしていきたいですね。

千歳山はいつも私たちのそばにいて見守ってくれています。秋にはみのり登山もあります。私は今まで以上に親しみを感じるようになりました。皆さんも、千歳山に興味をもち、思いを寄せながら暮らしていけたらいいですね。

さあ、今日から、水泳納会やみのりSFへ向けての取り組みが始まります。皆さんは、夏休み前に一人ひとりが成長して力をつけることができました。その力をもとに、学級・学年の友だちやみのり班の仲間と積極的に関わりながら、さらに自分の力を高める努力をしていってほしいです。暑い日が続きますが、暑さに負けない丈夫な体で生活していきましょう。