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校長室だより

全校朝会での校長講話③(参集型)
「詩人」と「ほっとの種」

令和7年9月12日 校長 早坂 和重

みなさん、おはようございます。約2か月ぶりの全校朝会です。一人一人のお顔に成長を感じます。今日が誕生日の人もいますね。おめでとうございます。みんなで拍手しましょう。
 …そんなみなさんに朝会で何をお話すれば、少しでも役に立てるのだろうといつも悩みます。この前の朝会では「考えることは、雨が降るように自然になされているものであり、本質的にはコントロールできないものである」というデューイさんの考えについてお話をしました。そこで、この度は、自分の心に自然とうかんできたものを話そうと決めました。そのようにして、自分の心の中を眺めた時、すっとうかんできたのは合唱部のみなさんの「あおい天使」という歌でした。中でも特に「すてきなことばかりさ」という言葉です。たった一言ですが、この夏は、真っ青な空が毎日続きましたが、この歌詞を何度も思い出していました。このようなことから、今日は「詩」についてお話をすることにしました。
 さて、突然ですが、みなさんは「詩人」というと、何人思いつきますか。ちょっと考えてみてください。何人になりましたか。3人くらいですか。宮沢賢治さん、まど・みちおさん、谷川俊太郎さん、などでしょうか。…実はたくさん思いつくための「こつ」があります。「何をもって詩人というか(定義)」を広げればよいのです。例えばこんな風に広げるのです。「詩」といってもいろんな詩がありますね。「ちはやふる~のような和歌」「しずかさや~のような俳句」「漢字だけでできた漢詩」などです。「それらを作った人も詩人である」とすれば、紫式部や在原業平、松尾芭蕉や正岡子規などの昔の日本人、そして李白や杜甫など昔の中国の人も挙げられます。さらに広げ「歌の歌詞を作っている人も詩人である」とすれば、ビートルズの皆さん、やなせたかしさん、あいみょんさん、Uruさん、大森元貴さん、などなど、洋の東西を問わず、本当にたくさんの人を挙げることができます。

そんな星の数ほどのたくさんの詩人がおられる中、わたしが今日紹介したい詩人は「アカツカトヨコさん」という方です。山形県天童市の詩人です。53年前に25歳で亡くなられました。私が彼女のことを知ったのは、5年前、図書館で偶然開いた本の一文です。そして、縁あって豊子さんのご自宅にお邪魔したのは、3年前のお盆でした。それから、毎年夏になるとなぜか思い出します。
 豊子さんは、生後まもなくポリオという病気で体の自由が奪われました。歩くことも声を出すこともできなくなり、小学校に行けない中、家族、そしてラジオや新聞から、自分で字を学び、覚えたそうです。…ただ、自分の力で文字を書くことだけは、書きたくとも、ずっとできませんでした。
 でも、豊子さんが二十歳になった昭和40年頃になると、カナ文字を入力できるタイプライターが世の中にでてきました。豊子さんは22歳の時に、このタイプライターを購入してもらい、何とか動かせる右腕を使い、初めて自分の思いを文字で表せるようになりました。そして亡くなるまで詩を書き続けました。しかし、彼女が詩を作ることができたのは4年間でした。みなさんは4年間ってどのくらいの長さかわかりますよね。その4年間で約60篇の詩を作りました。彼女が亡くなってから、それらの詩に心を動かされた方によって詩集が編まれ、出版されました。
 今日は、この中から一つだけ、亡くなる1年前の彼女の詩「アタラシイ イノチ」を紹介します。吉田先生に読んでいただきます。

アタラシイ イノチ

タイプライターで一文字一文字を打ち、刻んだ言葉を読むと、赤塚豊子さんが、生きることにまっすぐ向き合って最後まで力強く生き抜いたことが感じられます。絶望を感じつつも、言葉で希望を自ら描く行為、これが豊子さんにとっては詩をつくることだったと言えます。まさに豊子さんは「詩人」だと思います。
 このようなことから、大テーマを見た時、私は3つの「ほっとの種」の一番目「ほっとな」とは、そもそもどんなことを言うのだろうかと、大きな問いになりました。大テーマでいう「ほっとな」とは、ただ自分が長い時間それをやっているとか、好きだからやっている、楽しいからやっているということだけではないと思われます。みなさんにも一緒に考えてもらえたらうれしいです。
 最後になりますが、豊子さんの詩のプリントを作りましたので、読みたい場合は先生からもらったりして、感想があれば、ぜひお寄せください。次の全校朝会は、また約2か月後です。皆で元気にお会いできればと思います。これでお話を終わります。