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校長室だより

全校朝会での校長講話⑤(参集型)
「最後の時間にすること」

令和8年1月8日 校長 早坂 和重

みなさん、おはようございます。新年になって初めてお会いした皆さんからは、今日まで何回も「明けましておめでとうございます」とご挨拶があり、品があるなあと思っていたところです。
 さて、早くも1月です。一昨日、なつつばき学年の教室を通った時、出てきてくれたAさんが「校長先生、わたしたち、もうすぐ卒業です。」と話していました。今日は、まず、この「もうすぐ卒業」が実際どのくらいなのかステージを使ってやってみます。

<児童3名登壇し、寸劇>
 こっちの端っこがスタートの「入学」で、こっちの端っこがゴールの「卒業」だとします。
 なつつばき学年(6年生)の皆さんは、どこまで行っていると思いますか?Aさんがやってくれます。前回の朝会でお話した「割合(百分率)」を計算すると、なんと、小学校生活の約96%が終了していることになります。100m走で言えば96mです。ゴールまで残り4m。
 では、もみじ学年(1年生)はどのくらいでしょうか。Bさんがやってくれます。小学校生活の12%です。
 では、カルミア学年(3年生)はどうでしょうか。Cさんがやってくれます。小学校生活の47%です。
 当たり前ですが、学年によってずいぶんちがいますね。

でも、この端から端までを入学から卒業ではなく、今年、令和7年度の「1年間」にすると、どうなるでしょうか。また、3人がやってくれます。どの学年も80%くらいまで来ています。残りは約20%です。はい、3人の皆さんありがとうございました。

いよいよ、それぞれの学年のゴールも近い時季です。最後の貴重な時間です。みなさんは、最後の時間で「何」をしますか。今日はこのことについてわたしがこれまでに考えたことを少しお話します。みなさん一人一人が、最後の時間に「何」をするかを考える時の参考になればうれしいです。

さて、みなさんは「終わりよければ全てよし」という言葉を聞いたことがありますか。わたしは小学生3、4年生の頃からだいぶ長い間、この言葉がもやもやした謎でした。こんな感じです。
「終わりよければ全てがよいとは、本当にそうなのだろうか。例えば、文章には、はじめ、中、終わりがある。はじめと中の部分はどうでもよいとは言えないのではないか。また、掃除の時間にずっと真面目に掃除をしていなかったのに、最後の3日間くらい一生懸命に掃除したらそれでよいのだろうか。このような例をあげればきりがない。つまり、終わりよければ全てよし、とは言えないのではないか。」
 その後、そんなもやもやが、晴れた瞬間がありました。それは、30歳くらいの時です。3月末の夕方、ある大きな学校で先生方の下足箱の掃除をしていた時でした。3月末には先生方の異動が発表になります。わたしは、異動になった先生が全員帰った後、新しい先生方をお迎えするために下足箱掃除をしていたのです。大きな学校だったので、異動される先生もたくさんおられます。だから、たくさん掃除する下足箱があります。次々に下足箱を開けて掃除していきました。そして、ある先生が使っていた下足箱を開けた時、驚いたのです。その一か所だけ、ほこり一つなくぴかぴかだったのです。「終わりよければ全てよし」という言葉がなぜか浮かびました。きっと、この先生は、「だれかに掃除をさせない」ようにしたのだと思います。何だかあたたかい感じがしました。今もその下足箱の様子が頭の中に写真のように残っています。
 また、話は変わりますが、昔の職人さんの世界では、たいへん厳しいですが、「一日の最後に掃除や道具の手入れをしない者は、明日から来なくてよい」ということが言われていたそうです。
 このようなことを踏まえて「最後の時間にすることは何か」を考えた時、私の結論は「後片付け」です。物の片付けだけでなく、心の片付けなどもあるなあと思っているところです。また、「後片付け」は次への準備でもあります。そして、大テーマの「ほっとけない」ともすごくつながっていそうです。
 各学級でも、ぜひ「自分が最後の時間にしたいこと」を考えてみてください。それでは、これでお話を終わります。