ホーム > 新着情報:プレスリリース > 2021年04月 > 学長定例記者会見を開催しました(4/1) > 「樹氷」は漢書の「⽊氷・樹稼・樹介」を元に作られたことがわかりました
掲載日:2021.04.01
「樹氷」「凝霜」は明治6 年の万国気象会議で定められた気象⽤語「Silver Thaw」「Glazed Frost」を翻訳したもの明治11 年1 ⽉から使われています。明治期の翻訳では漢語からの流⽤、あるいは、漢語を参考にして新語が作成されていました。「樹氷」「凝霜」は何が元になって作られたのか調査しました。
「漢書 五⾏志」の「⾬⽊氷」に、⽊に付着している氷について⽊氷・⽊介・凝霜・樹介・樹稼等の名称が記載されています。⽇本では江⼾時代に「⽊氷」が使われるようになりました。「凝霜」「樹氷」は、漢書にある「凝霜」「⽊氷・樹介・樹稼」を元に作られたと考えられます。
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「樹氷(エビノシッポ)」と「凝霜・⾬氷」は共に空気中の過冷却⽔滴が⽊など凝結したものです(表1・写真1〜2)。「樹氷(エビノシッポ)」は衝突したため、空気を含むため⽩⾊を呈しエビノシッポの様の形状を⽰します。⼀⽅、「凝霜・⾬氷」は凝結したため空気をあまり含まず無⾊透明ですが、部分的に珠状を⽰すこともあります。まれにしか起きない現象ですが、氷の重みで樹が折れるなど⼤規模な被害が起きることがありま す。「樹氷」「凝霜」は明治11 年1 ⽉の気象⽉報から使われるようになりました。なお、明治25 年、説明⽂を取り違えたことによって「樹氷」と「凝霜(後に⾬氷と改名)」が反対に付けられていたことが発覚しましたが、そのまま現在に⾄っています。
明治期の翻訳では、漢語を流⽤するか漢語を参考に新しい訳語が作られていました。漢語を流⽤する場合で も、漢字を借りるだけで元の意味と同じとは限りません。そこで、「樹氷」「凝霜」はどこから来たのかを調査 しました。なお、「Silver Thaw」「Glazed Frost」の訳語は、おのおの付け間違える前の「凝霜」「樹氷」と し、また、元になる⾔葉が⼀緒に出てくる⽂献を調査しました。その結果、「凝霜」「樹氷」は、漢書にある「凝霜」「⽊氷・樹介・樹稼」を元に作られたことがわかりました。
後漢時代に編纂された「漢書(かんじょ)」に「五⾏志」があります。「五⾏志」にある「⾬⽊氷」では以下のように、⽊氷・⽊介・凝霜・樹介・樹稼等の名称が紹介されており、⽊に氷が付き⽊が倒れる災害が書かれています(写真4〜6)。「五⾏志」は天災を天による⼈間に対する警告であるとの⽴場で解釈されているもので、マイナスのイメージで記載されています。
「春秋によると、成公⼗六年(紀元前575 年)、正⽉に⾬⽊氷が起こった。・・・⾬⽊氷とは⾬が降って⽊が氷ったものである。・・・⻑⽼は⽊氷と名付けて⽊介とした。・・・旧書によると開元⼆⼗九年(⻄暦741 年)冬、京城は寒く、凝霜は⽊を覆った。・・・樹介と名付けた。・・・樹稼とも云う。・・・」
漢書は⽇本にも伝えられていましたが、上記の⽤語は⽇本であまり使われることはありませんでした。これは、⽇本と中国では気象条件が異なっているためと考えられます。冬季にはシベリア⼤陸から乾燥して冷たい北⻄の季節⾵がふいてきます。中国は⼤陸にあることから、気温が低く⾵は強いのですが雪は多くありません。そのため、「霧氷」「樹氷(エビノシッポ)」「凝霜・⾬氷」は⾒慣れた光景だったと考えられます。北⻄の季節⾵が⽇本海を通過する際に⽇本海から⽔分を吸収することで湿って冷たい季節⾵となります。⽇本に到達した季節⾵は、⽇本海側で⼤雪を降らせますが、太平洋側ではあまり雪を降らせません。これらのことから、⽇本海側は⼤雪のため「霧氷」「樹氷(エビノシッポ)」「凝霜・⾬氷」などは⽬⽴ちません、⼀⽅、太平洋側では「霧氷」「樹氷(エビノシッポ)」「凝霜・⾬氷」などできにくかったため⾒ることがなかったためと考えられます。
江⼾時代、特に⽂政9 年(1826 年)前後以降に書かれた⽇記・随筆・漢詩等において、漢書を引⽤しつつ「⽊ 氷」が⾒られるようになります。江⼾時代後半に低温期(⼩氷期)になったことによって、江⼾でも「霧氷」「樹 氷(エビノシッポ)」「凝霜・⾬氷」などが⾒られるようになった。中でも⽊に氷が付く現象が⽬に付いためでは ないかと考えられます。
⽇本でも中国でも「⽊氷(⾬氷)」が⽣じると氷の重みで⽊が倒れるなど⼤規模な災害が起こることがありま す。しかし、江⼾時代以降の⽇記・随筆・漢詩に登場する⽊に付着している氷である「⽊氷」については、奇観 であり、美しい物(ガラス・珠・花)、⾒ると幸福になる物など、プラスのイメージの書かれ⽅をしています。江⼾や東京では何年あるいは何⼗年に⼀度しか⾒られない珍しい現象であり、⼤規模な被害は無かったからではないかと考えられます。
明治8 年7 ⽉から明治10 年12 ⽉までの観測項⽬では、「雷」など従来から⽇本で使われていた⾔葉は⽇本語で記されていますが、「コロネー」など翻訳されずカタカナ表記となっている⾔葉があります。正⼾豹之助は「・・・・シルバー・ソー(Silver Thaw)、グレーズド・フロスト(Glazed Frost)などはJoyner の説明を聞くも了解出来難く、多くの⼈達と相談して「樹氷」「擬霜」などの訳語を得たる次第なり。・・・・」と述べており、新しい概念については理解できず、翻訳できなかったことがわかります。
明治11 年1 ⽉の気象⽉報から「樹氷」「凝霜」が使われています。翻訳したのは内務省地理局(桜井勉局⻑・荒井郁之助課⻑・⼩林⼀知課⻑代理・正⼾豹之助観測主任・観測員の⾺場信倫・下野信之ら)で、翻訳したのは明治10 年末頃と推定されます。
明治期には、漢語の流⽤、あるいは、漢語を参考に新語が作られていました。「Silver Thaw」については霜柱ではないが霜柱のような形をした物ということで「擬霜」が、「Glazed Frost」については樹⽊に氷が付いた物ということで「樹氷」が与えられたと考えられます。この際、「擬霜」は漢書にある「擬霜」、「樹氷」は漢書にある「⽊氷・樹介・樹稼」等を元に作られたと推定されます。
なお、説明⽂を取り違えたことによって「樹氷」と「凝霜」が反対に付けられていたことが明治25 年に発覚しましたが、「Silver Thaw」は「樹氷」、「Glazed Frost」は「擬霜(後に⾬氷に改名)」のまま現在に⾄っています。
今回ご紹介した資料の⼀部は⼭形市⽴図書館に寄贈し、同図書館で公開される予定です。公開⽇程等は、準備が整い次第図書館からアナウンスされます。