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ペルー北海岸シカン遺跡における新発見

掲載日:2018.02.09

准教授 松本剛(人類学)

ペルー北海岸で約千年前に栄えたシカンと呼ばれる社会は、通説によれば、11世紀中頃の気候変動(大干ばつと大洪水)がきっかけとなって崩壊し、それに伴って首都のシカン遺跡も放棄され、別の遺跡に遷都したと言われてきました。しかし、松本剛准教授率いる研究チームによる近年の調査から得られたデータは、気候変動後も遺跡は放棄されなかった可能性を示唆していました。研究チームは、人類社会と自然環境の関わりを通時的かつ詳細に研究することによって、従来説を見直すとともに、社会の衰退や復興についての新しい説明モデルを構築・提供することを目標としています。

シカンは紀元後950-1100年頃、宗教的な指導者を中心として、漁労や大規模な灌漑農耕、高度な冶金技術、遠距離交易などを基盤に繁栄しました。今回発掘が行われたシカン遺跡は、最盛期の首都であったと考えられており、その中心部はピラミッド群とそれに囲まれた大広場と呼ばれる空間から成ります(図1)。この広場を横断するように、ロロ(Loro)神殿とベンタナス(Ventanas)神殿の間に四つの発掘区が設けられました。

今回の発掘では、5メートルに及ぶ堆積層断面の詳細な観察と記録により(写真1)、大洪水やそれに伴う儀礼活動の痕跡が見つかり、その洪水層において非常に保存状態の良い10体の生贄遺体が出土しました(写真2)。気候変動による社会不安に対し、人身供犠という宗教儀礼によって抗おうとしていたこともうかがえ、気候変動の後にも遺跡は放棄されなかった可能性が見えてきました。

また、広場の中心近くで多量の副葬品とともに墓が見つかりました(写真3)。興味深いことに、遺体はシカン以前の文化様式(モチェ文化様式)で埋葬されていました。この発見は、シカン社会では複数の民族が共存していた可能性を示唆しています。考古学的手法によって社会の多元性を証明するのは非常に難しいとされる中、このような形で発見されるのは極めて珍しいケースであるといえます。

今後は洪水の前後の様子を調査することによって、洪水と社会変化の関係性について詳しく追究していくとともに、ナスカ研究所・坂井正人教授が研究を進めているナスカとの比較研究が予定されています。

写真1.地層断面と生贄遺体の画像
写真1.地層断面と生贄遺体

写真2.生贄遺体の画像
写真2.生贄遺体

写真3.金属細工人の墓の画像
写真3.金属細工人の墓

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