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黒田大生 理学部 理学科 2年

派遣先大学:ラトビア大学 派遣期間:2020年2月19日~3月11日 

<日本語教室での活動内容>

 今回のラトビア大学での日本語教室はビギナークラスとアドバンスドクラスの2展開で授業を行った。レベルとしてはビギナークラスが平仮名は書けるがカタカナは書けないといったレベルで、アドバンスドクラスは、こちらが言葉を選んで鮮明な声音で話せば、普通に会話ができるくらいであった。そのため、ビギナークラスでは、日本語の正しい発音とカタカナの書き方、外国人向けの日本語教材の例文を用いて、数や日常会話で有用な表現などを中心に授業を展開していった。一方アドバンスドクラスでは、よりスムーズに日本語を喋りたいという要望が強く、主に対話形式で積極的に日本語を話させるような圧をかける日本語教室を運営した。アドバンスドクラスでは通常5~7人ほど受講生が来るため、今回学生大使として派遣される山形大学生2人では受講生たちにスピーキングの圧を十分にかけることが困難であった(理想としては日本人:ラトビア人=1:1であった)。そこでラトビアで知り合った日本人の留学生に協力を仰ぎ、たまに日本語クラスに参加してもらった。彼らもラトビア人と交流の機会を持ててとても有意義な時間を過ごしていたと思われる。人の輪は人を通して広がっていくのだなと、当たり前のことながら感じられた場面であった。

<日本語教室以外での交流活動>

 アドバンスドクラスの受講生の一人に美術、芸術に携わる女性がいたので、その方がパフォーマンスをするというイベントに参加させてもらった。そのイベントは、現代アートと呼ぶのにふさわしいもので、理由、理屈などをそのパフォーマンスに求めることが非常に難しかった。例えば、女性アーティスト二人組の火やペンキを使った、法律ぎりぎりの過激なパフォーマンスをどのような意図で彼女らがそれをしているのか、どんな葛藤が伴うのかなどをプレゼンしたり、女性三人が無音劇をしてみせたり、プログラミングされたロボットと子供を対話させるパフォーマンスなどがあった。どれも非常に理解し難かった。日本では美術、芸術として成立しなさそうなパフォーマンスを目の当たりにして、文化や考え方、さらに言うと、人々の笑いの対象が明らかに違うことを認識させられた。

 また、Alaというラトビアではかなり有名なバーに連れていってもらった。人々はハニービールを片手にブレーメンの音楽隊を思わせるにぎやかで心が跳ねるような演奏の雰囲気に流されて、各々がフォークダンスを踊る踊る踊る。日本にいては絶対に体験できないようなあまりにも非日常的な光景に、表現しがたい心情になったことを覚えている。それは踊り狂う人々の楽し気な雰囲気に流されてか、はたまたあと数日しかラトビアに滞在できないことへのさみしさか、とかく表現しがたい心情に私はなった。

<参加目標の達成度と努力した内容>

 個人的に努力したと言えることは、受講生のニーズに合わせた授業展開をすることであった。私は某予備校でバイトをしている身だが、いつも生徒の勉強の達成度や模試の結果などと生徒の志望校とのギャップに悩まされ、どう指導することがその生徒にとって最善かを考えさせられているが、その苦悩は今回の日本語クラスでも顕現した。漢字に焦点を当てて、漢字の読み方書き方などに強い興味をもつ受講生がいたり、日本の最近の若者言葉に興味を持つ受講生がいたりと、受講生一人ひとりを満足させられるような授業内容にするために、試行錯誤する毎日だった。なかでも明治時代の手記を研究しているご老人の質問はとても鋭かった。この漢字はなんですか?と質問されても、今我々が使っている漢字ではく旧書体の漢字であったから、スマホを使って調べるほかなかった。それでも見つからない漢字があったのは、苦虫を噛み潰したような表情にならざるを得なかった。 

<プログラムに参加した感想>

 公用語がラトビア語だったので、看板やメニューなどが全く読めなかった。しかし店員さんは英語が話せる人が多かったので、そこまで困るようなことは起きなかった。日本では英語の読み書きはできても話す聞くはできない人の方が多い。一方ラトビアでは英語を実用可能なレベルまで修得している人がほとんどであった。やはり言語を上達する上で、発言圧を自分に強くかけることの必要性を改めて感じさせられたのであった。また、日本語教室を通して一人ひとりのニーズに応える難しさを改めて痛感した。海外に行き、日本との違いを見つけるたびに、自分でも気づかなかった考え方や感じ方の固定観念に気づくことができ、視野が広がったように思う。

<今回の経験による今後の展望>

 自らの考えの深さや質を高める方法は、知識を蓄えることと、物事の違いに触れ圧倒されることの二種類あると考えられる。その本質は似たようなもので、前者は読書など他人の知識を自らのものに変換するようなことで、後者は自らの周りの環境を無理やりにでも変えてやることで自然に起こることである。新たなコミュニティに参加するもよし、海外に飛び立つもよしだ。自分の知らない知識考え方に触れれば、また周りの環境が変わればそこに新たな考え方ができる。それがいわゆる視野の広がりである。今回のラトビアでの生活を通して、もっと違う考え方に、もっと違う文化に、触れてみたいとより強く思った。今後の展望としては怠惰な生活を今一度見直し、よりアクティブに様々なことに挑戦してみるつもりだ。自分の視野を広げ、物事の歴史的背景や関連性をより深く考察し、かつての自分が理解できなかった現代アートに何かしらの意味を見いだせるような、そんな人間になってみたい。

日本語教室の写真の画像
日本語教室の写真

Ogreの森林公園の湖の画像
Ogreの森林公園の湖

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人気バーALAでの食事