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森山葉月 人文社会科学部 総合法律コース 2年

派遣先大学:延辺大学 派遣期間:2019年9月11日~9月23日

 〈日本語教室での活動内容〉

 延辺大学の活動は、日本語学科の授業に参加させていただくという形だった。90分の授業に1日にあたり2回程度参加した。2週間の間に、1年生~4年生までの授業に参加し、①90分の授業を2人1組で山大生が担当するという方法。②90分のうち最初の45分は先生が授業を担当し、残りの45分の授業を2人1組で山大生が行う方法。③延辺大学の学生4~8人グループの中に山大生が1人ずつ入って日本、中国の大学生活について自由に討論するという方法。という3つの参加方法があった。

〈日本語教室以外での交流活動〉

 チューターさんや、授業で仲良くなった日本語学科の学生さんと一緒に昼食や夕食を食べる機会が多かった。延辺は、朝鮮に面しているため朝鮮の料理も多く食文化にも地理的な要因が反映されていると感じた。どの料理も安くて美味しいものばかりだった。食べた料理を挙げると、冷麺、ビビンバ、クッパ、サムギョプサル、串焼き、ポッサム、小籠包、コプチャン、水餃子、サムゲタン、トポッギなどである。また9月15日は、中秋節であったため、その日に食べる月餅というお菓子も食べた。

 休日は、中朝の国境まで連れていってもらった。望遠鏡を借りて、川の向こうを見ると馬を引いている人や、警備の人が見えた。日本は、島国で国境を見ることができないため、川の向こうが北朝鮮で生活している人がいるという光景は、とても印象に残っている。

 午後から授業だった日には、朝市にも連れていってもらった。果物、穀物、干物、松茸、卵、香辛料などが販売されていた。また、犬の肉も販売されていてお店のおばちゃんが犬肉をさばいている姿は衝撃的だった。

〈参加目標の達成度と努力した内容〉

 私の参加目標は、①準備をして授業に臨むこと。②コミュニケーションを積極的に取ること。③自分の視野を広げることであった。それぞれ5段階で達成度を表すと①の達成度は5であった。理由は、授業を担当する際にPowerPointで資料を作成し視覚的にわかりやすくできるように工夫できたことと、90分の授業を担当する際にも、学生さん達が飽きないように、日本に関するクイズを用意し授業の構成を考えることができたからだ。

②の達成度は3である。理由は延辺大学に来た当初、緊張してしまい自分から話しかけることができなかったからだ。日本語学科の学生さんと食事をする際も、一緒に派遣された山大生とばかり話をしてしまっていた。この状況は「自分から、延辺大学の学生さんに3回話しかけてみよう」と具体的に目標を立てたことで改善することができたと感じる。また、私は一年次の第二外国語が中国語選択では無かったため、周りで話している言語を全く理解することができなく不安が強く出てしまったということがコミュニケーションを積極的に取れなかった理由でもあった。しかし、仲良くなった学生さんに簡単な中国語を教えていただき、タクシーや食堂を利用するときにお礼を言うように心がけると、笑顔で応えてもらえるようになり、それがきっかけで不安が薄れたと感じている。中国語を話すことはできないとしても挨拶やお礼などは中国語で話すように心がけることはできた。

 ③の達成度は5である。延辺大学に2週間滞在し、延辺の文化に触れ、日本語を学ぶ学生と接する中で、確実にものの見方が変化したと感じている。今回、渡航する前に延辺大学に派遣された先輩からお話を伺ったり、インターネットで延辺について調べてはいたが、私が想像していた中国とは全く違っていた。中国は、日本よりも遅れていて、環境も綺麗ではなく、治安も良くないという風に先入観をもっていた。実際の延辺は、空気が綺麗で、治安も良く、ショッピングモールや市場、たくさんの飲食店などが建ち並ぶとても賑やかな場所であった。夜になると、街の至るところがライトアップされ幻想的な感じでもあった。まさに、“百聞は一見に如かず”であると強く感じた。それらも踏まえ、派遣期間中の休日に何もしないで過ごすのはもったいないという考えをもって、自分達からチューターさんなどに声をかけ、たくさんのことを見たり体験したりできたと感じる。

〈プログラムに参加した感想〉

 私は、9月9日に日本を出発する予定であったが、日本に直撃した台風の影響で出発が2日間遅れるというアクシデントがあり幸先が不安な状態でのスタートであった。また、初めての海外渡航ということも相まって不安が大きくなってしまい、羽田空港で泣いてしまったりもした。しかし、今振り返ると泣きながらでも一歩踏み出して本当によかったと思っている。延辺大学で、たくさんの人の優しさにふれ、日本語を一生懸命学ぶ同年代の子達に出会い、日本という国を離れて過ごした時間は一生の財産になると感じている。学生大使にチャレンジすると決め、思い切って一歩踏み出したからこそ得られた経験だと思う。

〈今回の経験による今後の展望〉

 今回、延辺大学に行き日本語学科の学生さんと過ごす中で、私が感じたことは、自分の語学力の低さと知識の乏しさであった。語学に関しては、今回仲良くなった方たちと楽しく会話をしてみたいという気持ちが沸いているため、中国語の勉強を始めたい。それに加えて、英語の勉強にも取り組んでいきたいと思う。日本語を大学から学び始めた学生さんと接したときに英語によるコミュニケーションの重大性を再認識したからだ。自分の知識に関しては、現代の政治・経済と日本の歴史についてきちんと理解したいと感じた。それは、9月18日に防空サイレンがなったことがきっかけであった。9月18日は、1931年に日本の関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した日であり、満州事変が勃発した日。私はこの日にサイレンが鳴ることの意味を全く知らなかった。このとき、日本の歴史についてきちんと理解したいと強く感じた。そのため、図書館で読書をする時間を確保したり、新聞やニュースを見るということを習慣にしたいと思う。

休日に日朝の国境に行ったときの画像
休日に日朝の国境に行ったとき

授業後にみんなと一緒に一枚の画像
授業後にみんなと一緒に一枚