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大崎教授の海外駐在記「ガジャマダ大学駐在記2(8)」

 ラマダンの断食期間に入った6月30日の昼前に、農学部にあるサテライト・オフィスに、生物学部博士課程1年のSulfianto君がやってきました。彼は、Papilio blumeiという、黒の縁取りで、エメラルド・ブルーの光沢色に輝く、大型のアゲハチョウの研究をしています。このチョウは、インドネシア島嶼の中央にある、スラウェシ島にしかいません。彼は島の国立Makassar大学の学部時代にこのチョウの研究を始め、ガジャマダ大学大学院に進学後も、年に5か月間、島に戻り、このチョウの研究を続けているそうです。

 島の産業に、チョウの標本売買があって、島の特産種であるこのチョウは、高値で取引され、主にロシアに出荷されているそうです。私もボルネオ島の密林で、日本人の標本商に出会ったことがあります。村人に捕虫網を配り、捕えられた標本を定期的に買い集めており、標本は、その都度、日本の顧客が300~400万円で引き取ってくれるそうでした。

 歴史に名を残した標本商がいます。1858年に、英国のアルフレッド・ウォーレスは、スラウェシ島の東隣の、小豆島より小さなテルナテ島から、後にテルナテ論文と命名された進化論の論文をチャールズ・ダーウィンに送りました。進化論の構想を20数年間温めていたダーウィンは驚いて、慌てて「種の起源」を書きあげて、1859年に出版しました。

 1884年に、英国のジョン・マギリブレーは、ニューギニアの密林の、数十!の樹冠部を滑空する、小鳥よりも大きな影に、散弾銃を撃ち込みました。黒の縁取りでメタリック・グリーンの光沢色に輝くビクトリア・トリバネアゲハは、こうして世に知られました。

 Sulfianto君の研究するチョウも、高さ15m以上ある森の樹冠部を飛んでおり、メスに模したモデルをトラップにして、オスのチョウがモデルに近づいた瞬間に捕虫網で捕えます。チョウのオスは、視覚でメスの翅の模様を認識し、求愛行動を行います。メスの捕獲は至難です。なお、チョウはメスよりもオスが圧倒的に華美で、商品価値があります。

 彼の研究は、このチョウの持続的資源保護を目的とした累代飼育法の確立です。まず、チョウの産卵植物、幼虫の食草食樹を割り出しました。日本のチョウ研究の百数十年の歴史は、日本産約240種のチョウの食草食樹の割り出しでした。深山幽谷の10数!の高木の梢にしか卵を産まないチョウもいます。日本では、この問題は20世紀末までに決着がつき、21世紀になり、日本人研究者の目は、インドネシア島嶼やパプア・ニューギニアの密林の、樹高数十mの樹冠部を飛び交うチョウに移っています。Surfianto君の研究の世界です。

 彼は、食樹を割り出し、森で食樹に登り、高さ15m以上の梢から卵を採集し、孵化した幼虫を育て、成虫を得ました。卵の多くは寄生蜂に寄生されていて、孵化しなかったそうです。次に、羽化した成虫から採卵するために、縦と横4m高さ7mの網室を作り、成虫を放しました。しかし、成虫は網室では交尾せず、採卵は失敗したそうです。そこで、野外で苦労してメスのチョウを採集し、網室に放したそうです。しかし、種子から育てた食樹の幼木に、チョウは卵を産まなかったそうです。研究の進捗はここまでです。

 私もチョウを用いて進化生態学を研究してきました。しかし、主なる対象は、ロマンに満ちた華美なチョウではなく、容易に手に入り、飼育できるモンシロチョウでした。

インドネシア全図:赤印はスラウェシ島、緑印はガジャマダ大学のあるジョグジャカルタ市 の画像
インドネシア全図:赤印はスラウェシ島、緑印はガジャマダ大学のあるジョグジャカルタ市

Papilio blumeiの画像
Papilio blumei