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ガジャマダ大学駐在記6(2)

  このページで紹介されている「学生大使派遣プログラム」において、本学学生が本学海外拠点校を訪れるのは日本の大学の長期休暇期間中となります。その期間中に山大生たちが現地を訪れて直ぐに現地学生との交流ができるように、本学では交流場面となる日本語クラスを通年で各海外拠点校に設けています。

このうち、インドネシア拠点校のガジャマダ大学においては、山大生を現地派遣できない期間のクラス運営を、現地在住の日本人チューターにお願いしています。現地で本学クラスのプレゼンスを保つために活躍している方々については、これまであまり紹介してきませんでした。そこで今回は、現地チューターの一人であるMさんを紹介します。

  Mさん(女性)は、大阪府吹田市ご出身です(1985年生)。ご本人の顔写真でMIDORIのラベルのカクテルをお持ちなのは、Mさんのお名前の「みどり」と一致した感激からでしょうが、「Mさん」と記すのは名字もMで始まるからであることを申し添えます。

  高校時代、Mさんはスノーボードに夢中になりました。そして、スノーボード関連の仕事に就こうと、そのために必要な知識と技能が得られる専門学校に進学します。卒業後に夢を実現され、2008年から9年間、リゾート運営会社の社員として福島県内のスキー場でスノーボードのインストラクター、スキー場の運営、圧雪車の運転などの業務に従事します。自らの趣味でもあるスノーボードについては、ゲレンデ内に留まらず、普通の山の斜面を滑降するバックカントリーの世界にも踏み入り、写真のように月山の斜面を華麗に滑降するようなエキスパートになります。Mさんに、「ゲレンデ外にスキーやスノーボードで踏み入る人は雪国山形でも珍しいです」と申し上げたところ、「大阪人のないものねだりです」と返されました。ちなみに、スノーボードのオフシーズンとなる季節には、同じリゾート運営会社が運営する沖縄県の施設で、プライベートビーチの運営とツアーガイドの仕事に携わったと言います。

転機となったのは、東日本大震災の影響で、福島県内のスキー場への来客数が減少したことでした。折しも、Mさんは、インドネシアビジネスに注目する知人と同国の可能性について語り合う機会を得て、日本と比較して面積は5倍、人口は2倍以上のインドネシアの可能性を想います。やがて、インドネシアは観光客を呼び込むリゾートという切口だけで見ても成功に必要とされる資源がとても抱負で、かつ、伸び代も大きいと判断し、日本の会社を辞めてインドネシアに渡る決意をします。

スノーボードは「日本に帰国した際に十分楽しみたい」と仰っていたので、南国に渡る際には名残惜しく感じたことでしょうが、インドネシアでは、同じ「ボード」でも初めて経験するサーフボードに乗り換えます。インドネシアは、サーフィンを楽しむ場所としても適した波に恵まれるなど世界有数の好適地であり、Mさんにはビジネス資源としても注目されました。そして現在は、インドネシアの可能性を教えてくれた日本人の知人と共に、様々なビジネスを手がけながら、新たなビジネスの可能性も探っています。当面は、おいしいスイーツの少ないジョグジャカルタの市場性に着目し、あるスイーツの専門店を近く開店するとのこと。

そのようなMさんが授業に臨むときは、インドネシア語で日本語・日本文化を現地学生に教えています。そのインドネシア語は、Mさんが実践を通じて身につけたとのこと。ご本人は「本当は学校に通って習えばいいのでしょうが・・・」とあっさり語られますが、インドネシアに渡って3年に満たない期間での習得を想うと、かなり密度の高いインドネシア語体験を経ていると推察されました。Mさんのインドネシア語が高いレベルに達しており、意義深い対話が授業で行われていなければ、インドネシアのトップ大学であるガジャマダ大学の学生が、出席をとらないことが特徴の本学開設クラスに継続的に出席することはあり得ないからです。

Mさんは、現地に骨を埋める覚悟で滞在し、現地社会とがっぷり四つに組んだときに見える風光を、日本人の視点から日本語で分かりやすく語ってくれます。山大生には、外国でMさんの見識に触れ、新たな気づきを得るチャンスを活かして欲しいと考えています。

自分と同じ名前のカクテルを抱えるMさんの画像
自分と同じ名前のカクテルを抱えるMさん

月山のゲレンデ外斜面を滑降するMさんの画像
月山のゲレンデ外斜面を滑降するMさん