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大崎教授の海外駐在記「ガジャマダ大学駐在記4(5)」

 

 9月12日(月)は、イスラム教で最も大きなお祭りといわれている犠牲祭(イード・アル・アドハー)の初日でした。4日間続くそうで、初日だけが国民の休日になっており、ガジャマダ大学もお休みでした。この間、故郷に帰る学生も多いそうです。犠牲祭の由来や詳細は、ここでは触れませんが、幾つかの非日常を経験しました。

 国際交流室を通して、E-mailに、犠牲祭の数日前から、世界各地の大使館や領事館などの日本の在外公館から、テロに対する警告が殺到しました。一夜に30か所、40か所からの警告が舞い込むのです。普段ならば、警告は、テロの予告があった場合や、テロが起こった後に舞い込むのですが、今回は何事もないにもかかわらずの予防警告でした。

 宿舎に背中合わせで4軒目に、地区の大きなモスクがあります。1日5回のお祈りの時間に、30分ぐらいにわたって、スピーカーを通して、唸るような音を出しています。最初はうるさく感じましたが、最近は、午前4時15分頃の静寂を破る音以外は、あまり気にならなくなっています。しかし、9月12日は違いました。イスラム暦では一日は日没から始まります。つまり、犠牲祭は西洋暦の9月11日の夕刻から始まったわけで、いつにも増して、スピーカーから流れる大音響は、夜を通して果てしなく続き、音が聞こえなくなったのは、翌日のお昼の12時過ぎでした。約18時間続きました。

 音が少し低くなった午前11時頃、宿舎の隣の空き地に人の集まる気配を感じたので、行ってみました。空き地は、お屋敷一軒程度の敷地面積があり、敷地のへりに大きな木やバナナの木が生えていて、普段は近所のニワトリが20匹程度群れています。空き地の木には、数日前から牛が2頭繋がれていました。空き地の前の家の前庭に、羊が数頭飼われ始めていました。それが何を意味するのか、それまで考えたことはありませんでした。

 空き地には人が集まっていて、その真ん中で、京大農学部で博士学位を取得したガジャマダ大学農学部のヌルディン先生が、ハンド・スピーカーを持って、何かを話していました。彼の前に、木に繋がれていた牛が引き出され、前足と後足を縛られて引き倒されました。ヌルディン先生の声が大きくなると、短剣を持った男が現れて、牛の喉に突き刺しました。犠牲祭が始まったのです。魚のように頭を落とされ捌かれた牛の肉は、地区の人々に配られるそうですが、貧しい人に特に多く配られ、豊かな人は受け取りを遠慮するそうです。

 日本語クラスの作文で、イスラムに対するかなり詳しい記述を目にするようになりました。女子学生にとり、理想の男性像は、「信仰心が厚くてビールを飲まない人」だそうです。ジョクジャカルタの街には酒屋はありません。ビールだけは、2年前まで、スーパーやコンビニで売っていましたが、今はそれも探すのが難しくなり、レストランでも飲めません。高級ホテルのレストランに行けば、あるという話ですが。

 神は、すべての人に平等に、能力や富や機会を与えているそうです。それをどれだけ自分のものにできるかは、本人の努力次第だそうです。しかし、人事を尽くしても、必ずしも希望が実現するわけではありません。それは、神が、今はその時ではないと、その人のために判断されたからだそうです。

農学部構内の画像
農学部構内

犠牲祭の画像
犠牲祭