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ラトビア大学駐在記5-1

 10月2日~12月3日の予定でラトビア大学に駐在しています。日本からの乗り継ぎ地であるヘルシンキ空港を飛び立った飛行機は、直ぐに、厚い雲の上に出ました。下はバルト海の一部を形成するフィンランド湾ですが、全く見えませんでした。湾の最奥部は、ロシアのサンクト・ぺテルブルグで、ロシアのバルチック艦隊の母港があります。1904年の日露戦争当時は、バルチック艦隊は、ここからではなく、これから行くラトビアの、その南西の港町リエパーヤに集結して、日本に旅立っていったそうです。
 フィンランド湾を南に横断すると、ラトビアの北の隣国のエストニアに達します。そして、すぐに雲の切れたリガ湾が見えてきました。行く手の左側に、南に一直線に伸びるラトビアの海岸線があり、大きな河口が見えました。首都リガの新旧の市街地を分けるダウガバ川です。飛行機はそのまま、夕暮れの海の近くのリガ国際空港に着陸しました。
 空から見たラトビアは、まだ紅葉が始まっておらず、深い緑の森に覆われていました。空港に迎えに来ていた、ラトビア大学の運転手のローランドさんは、40~50代の髭面の大男で、襟巻とダウンタウン・コートを身に着けていました。手元の温度計を見ると8℃を示していました。
 宿舎は、今回が3回目の、街の東の郊外の、広い敷地の住宅街にある、ラトビア大学学生寮内の家族室で、2DKです。シングル・ベッドが3つありました。サテライト・オフィスを設けた、大学本部本館から、トラム(路面電車)かバスを用いて、約30分の地にあります。タクシーで宿舎に帰った時に、運転手は怪訝な表情で、「ここは学生寮ではないのか」と問いました。「家族室があるのだ」と答えました。
 タクシーは、インドネシア同様に、スマートフォンのアプリに行先を書き込んで呼び出し、料金とタクシーの現在位置と待ち時間が示されるというシステムです。とても便利です。しかし、この原稿を書いている時に、ラトビア議会は、この便利な運行法を禁止する、という法案を通過させた、というニュースが、スマートフォンに流れてきました。
 リガは、バス、トロリーバス、トラムの便が非常に良く、タクシーはめったに使わないのですが、この時は雨が降っており、手にする荷物も多く、タクシーを利用しました。雨は、リガに着いた翌3日の朝から断続的に降り続け、この原稿を書いている11日までの8日間で、日が差したのは3度で、それも束の間で、直ぐに黒い雲が広がって雨が降ってきました。学生の話では、この時期2か月くらいこんな日が続いて、そして冬になるそうです。
 サテライト・オフィスは、ラトビア大学本館の1階に設けました。ロマネスク風の半円形アーチ窓が2つある、12畳程の天井の高い部屋です。相部屋にイオーゼ(IEZE)さんという御婦人がいて、時々、学生が訪ねてきますから、学生相談をしているのだろうと想像しています。しかし、英語を話しませんので、良く分かりません。
 イオーゼさんの席の周りには、観葉植物の鉢が15個あります。部屋の対極点にある私の席の周りにも、7個の観葉植物の鉢があります。部屋に通じる廊下の窓辺にも、植物の鉢が並べてあり、そして、ベンチも置いてあります。なかなか良い雰囲気です。

サテライト・オフィスと、相部屋のイオーゼさんの画像
サテライト・オフィスと、相部屋のイオーゼさん

オフィスの外の廊下の画像
オフィスの外の廊下