ホーム > 国際交流・留学 > 海外拠点情報(駐在記) > リガ海外拠点(ラトビア) > 大崎教授の海外駐在記「ラトビア大学駐在記」5(7)

ラトビア大学駐在記5(7)

 11月18日は、ラトビアの独立記念日でした。ラトビアは2度、独立しています。1度目が1918年11月18日、帝政ロシアからの独立で、1944年まで26年間続きました。2度目の独立は1991年5月4日で、ロシア・ソビエト連邦に併合されてから47年後の再独立です。1回目の独立の日を「独立記念日」、2回目の独立の日を「独立宣言の日」と言うそうです。今年の「独立記念日」は、実質、99回目に当たるそうで、来年の百周年は盛大なお祭りになるから、是非また、ラトビアに来るようにと、人々は言います。

 この日、公共交通機関は総てが無料になりました。17時から旧市街の35か所が、趣向を凝らしてライトアップされ、20時から第一回の独立を記念して建てられた「自由の記念碑」の前で大統領の演説があり、21時から大統領の住むリガ城に面したダウヴァガ川で花火大会がありました。18時頃に超満員の無料トラム(路面電車)に乗って、旧市街地に来ると、篝火に囲まれた市庁舎の前を、手に松明を掲げた人々の行列が、リガ城の方から自由の記念碑に向かって進んでいました。その数、幾千人。幾万人。乳母車を押す人もいれば、犬を連れている人もいました。松明を私たちに渡し、行列への参加を促す人もいました。

 自由の記念碑の前で始まった大統領演説は、勿論ラトビア語なので全然理解できないのですが、「デモクラシー」と言う言葉が何度も出てきました。大統領の演説は20分程度で終わり、国歌が斉唱され、自由の記念碑に対する、様々な光のアートが展開された後に、人々は花火を見るために、ダウヴァガ川に向かって流れだしました。花火大会は、国歌斉唱から始まり、冷たい川面に仕掛けられた仕掛け花火がはじけ、大玉が次々と寒空に打ち上げられ、20分ほどで終わりました。

 旧市街地でのライトアップは、17日~20日まで続けられました。市中での国旗掲揚は、11月11日の「ラーチュプレーシスの日」から続いており、公共機関や一般家庭だけでなく、バス、トローリーバス、トラム、タクシー、そして一般の車にも掲げられていました。また、人々は、小さな国旗を胸に飾りました。ラトビア大学でも、玄関口に、洗面器大のバスケットが2個置かれ、一個には小さな国旗が、もう一個には、国旗を胸に飾るピンが入っていました。毎朝バスケットに盛られた国旗は、昼になると無くなっていました。

 ラトビアは人口が200万人ですが、ラトビア系は124万人で、残りの多くはロシア系の54万人です。ロシア系は首都のリガに集中していて、リガ市民70万人中、ラトビア系は32万人、ロシア系は28万人です。山大日本語クラスにも、両民族の人々が来ます。ラトビアの独立記念日はラトビア系のお祭りで、ロシア系は関心を示そうとはしません。ラトビアはラトビア人の定義を、ラトビア語を話し、ラトビア語を読み書きできる人、としています。したがって、試験を課して、点数が満たないとラトビア国籍を得られずに無国籍者となります。現在、ロシア系54万人中、34万人が無国籍者だそうです。日本語クラスの中にも、ラトビア語は第一言語でないので良く分からない、と言う若い人が何人かいます。

 ラトビア系とロシア系の人々には、際立った違いがあり、識別は容易です。ラトビア系は繊細で、傷つきやすく、気を使います。ロシア系は逞しく、おおらかです。

独立を祝う松明行列の画像
独立を祝う松明行列

独立を祝う花火の画像
独立を祝う花火