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大崎教授の海外駐在記「ラトビア大学駐在記4(8)」

 

リガの夏至祭り

 6月21日は夏至で、山形の「日没」は19時05分でしたが、リガの「日没」は22時22分でした。しかも、闇夜が来る前に朝を迎えます。夏至を迎える週の木曜日と金曜日は、「夏至祭り」の祝日で、前日の水曜日の午前中で公的機関は閉鎖され、人々は故郷に戻り、木曜日の夜から金曜日の朝まで庭で火を焚いて、家族や友人と短い夏を祝うそうです。

 今年の夏至祭は、23日、24日で、ラトビア大学も22日の午後2時に閉鎖されました。22日の午後の道路は、田舎に帰省する車で溢れ、しかも多くの商店が月曜日まで閉店になるので、食料の買い出しの車も一緒になって、大渋滞でした。

 日本語クラスの常連の中に、高校2年生のBeataがいます。彼女がリガの夏至祭の日程表をコピーして、持ってきてくれました。ダウガヴァ川東岸の旧市街地側の川岸で、23日の20:00~04:30まで開催されるとありました。「自然を愛で、焚火、ビール、carawayの実、チーズ、花冠、そして歌を楽しみましょう」とも書いてありました。Beataは、「この日は寝てはダメな日ですよ」と言いました。

 23日に、夏至祭りの会場に行ってみました。この日、トラム、バス、トロリーバスの総てが無料でした。この期間、街はゴーストタウンになると聞いていたのですが、旧市街の中心地には沢山の人がいました。しかし、多くは、中国人とロシア人の観光客でした。

 夏至祭りの会場は、ダウガヴァ川東岸の自動車道路を歩行者天国にして設置されていました。会場の端に大きなステージを置いて、音楽の演奏を行い、その前で民族服を着た人々が踊っていました。道の両側にテントが並べてあり、野外レストランが設けてありました。花冠を売る店も何軒かありました。道の中央には、薪が高く積み上げられていました。

 私は薪が焚かれる前に引き上げましたが、旧市街を抜けると人の気配がなくなり、宿舎のある学生寮は全くの、もぬけの殻でした。しかし、周囲の家庭の庭では、火が焚かれており、その横でパーティーをする人々がいました。

 夏至祭りの案内を持ってきたBeataは、父がロシア系、母がラトビア系で、自分の馬を2頭持っていて、毎朝馬の世話をしています。乗馬学校には6歳の時から週2回通い、今回の私の駐在中だけでも、ロシアに出かけ、エストニア、リトアニア、ラトビアの国際大会に出場し、最高成績は2位でした。日本語クラスの休憩時間には英作文を書いていて、毎晩父親に提出するそうです。内容は、日記や、父親の出したテーマや、指定された図書の感想だそうです。高校卒業後は馬を売って、その資金で日本に留学したい、と言っています。

 Eizaさんという62歳のラトビア大学物理学部の先生も、良く日本語クラスに来ました。21日に、彼が日本語で言いました。「菩提樹の花が咲きましたね。この花の季節が終わると、ラトビアの夏が終わります。」私が菩提樹はどの木なのか尋ねると、彼は窓のすぐそばの木を示しました。ラトビアで最も普通に街路樹としてある木でした。25日に帰国します。

24日の早朝、高校生のMickから、日本大使館の筆記試験にパスした、という連絡が入りました。一昨年の9月から日本語を始め、山大日本語クラスに入り浸って驚異の進歩を見せている高校生です。面接で合格すると、ラトビア史上4人目の日本国費留学生です

夏至祭会場(背後には菩提樹の並木)の画像
夏至祭会場(背後には菩提樹の並木)

花冠売りの少女の画像
花冠売りの少女