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大崎教授の海外駐在記「ハノイ農業大学駐在記2(3)」

 テト休暇が終わり、学生たちがキャンパスに戻ってきました。同時に、山形大学の日本語チューターの学生が、18日に1人、20日に3人、21日に2人やってきました。20日までの4人は、キャンパスから徒歩5分程のゴミゴミとした学生街にある、5階建てベージュ色の第二ゲストハウスに入り、後にやってきた2人は、広々とした緑深いキャンパス内にある5階建てのやはりベージュ色の国際学生寮に入りました。そして、22日の今夜は、短期交換留学生として8人の学生がやってきました。彼らも、国際学生寮に入りました。

 日本語クラスは、21日に再開され、8時、14時、19時、の1日3回、各2時間行われるそうです。そうです、と書いたのは、クラスの運営すべては、チューター達と受講生達の自発性に任せており、私は実際の運営には全くタッチしていないからです。21日からのクラス再開は、日本語クラスのフェイス・ブックで告示されたそうです。

 日本語クラスは、国際学生寮の3階にある小会議室で開いていました。国際学生寮は、本部管理棟の東側にあるスチューデント・キャンパスの一番奥にあります。このキャンパスは、3階~7階建ての12棟の学生寮と、食堂やカフェ、購買部、ビリヤード場などの学生の福利厚生施設と、2階建ての図書館から構成されています。山形大学のサテライト・オフィスは、この図書館の2階にあります。

 日本語クラスが再開された21日の夜20時頃に、私は国際学生寮に行ってみました。すると、1階の集会所でアドバンス・クラスの学生25人が、クラス・リーダーのLinh君を中心として、会議を開いていました。22日から始まる、山形大学短期交換留学プログラムの実施委員会の会議だそうで、彼ら25人が、授業の合間を縫って、2週間のプログラムを実施してくれるそうです。

 クラス・リーダーのLinh君は、昨年8月に山形で開催した短期交換留学プログラムに参加した工学部の学生で、その指導力と人望で、クラス・リーダーを続けています。彼は、昨年、米沢でお会いした、工学部のある先生の許への留学を目指して、猛勉強中でした。先生から、留学可能な条件として、(1)HUAでの学業成績が優秀なこと、(2)TOEFLの得点が基準を超えていること、(3)日本語を流暢にしゃべれること、の3条件を挙げられたそうです。Linh君は、学業成績は大丈夫だそうで、TOEFLの得点は、アメリカの理系研究大学院には入れる得点でした。しかし、問題は日本語です。彼は、できるだけ日本語チューター達との会話に努めている、と言っていました。

 アドバンス・クラスの25人が1階で会議中に、3階の小会議室では24人の学生が5つのグループに分かれて、6人の日本語チューター達とクラスを開いていました。この日の午後17時頃にHUAに来たばかりの2人の山形大生も、すでに参加していました。

 翌、22日の朝8時から始まっていたクラスも見に行きました。学生数が最も少ない時間帯という話でしたが、22人の学生が参加し、5つのグループに分かれて6人のチューター達が、生き生きとした表情で、グループの中心にいました。

交換留学実施委員会メンバーの画像
交換留学実施委員会メンバー

夜の日本語クラスの画像
夜の日本語クラス