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大崎教授の海外駐在記「ハノイ農業大学駐在記2(4)」

 2013年2月25日午後3時に、ハノイ農業大学(HUA)のシンボルである本部管理棟前の「ハス池」のほとりに、山形大学が寄贈した、赤い花咲く「カイコウズ」の木が植えられました。記念植樹式には、HUAから、Tran Duc Vien 学長、Nguyen Xuan Trach 副学長(国際交流担当)、Nguyen Thi Bich Thuy 国際協力事務所所長、Le Thi Bich Lien 国際協力事務所副所長、国際交流支援学生団の人々、そして、山形大学からの短期留学生のカウンターパートとなった日本語クラスの学生が参加しました。

 山形大学からは、私達夫妻と、短期交換留学生8名、日本語チューターとして居合わせた学生8名中2名が参加しました。同時刻に、午後の日本語クラスが開講中で、残念ながら、多くのチューターは参加できませんでした。

 この日は、ベトナムの植樹祭の日だそうで、昨日から、学内のあちこちに木を植えるための穴が掘られており、ゲスト・ハウス近くの35×140mほどの原っぱには、高さ3mほどの木が118本植えられ、一日で林が出現しました。午前中には、スチューデント・キャンパスの山形大学サテライト・オフィスのある図書館前の道に、交換留学生や歓迎委員によって、背丈よりも高い、5本のヤシの木が植えられました。

 植樹祭は、初代ベトナム民主共和国主席ホー・チ・ミンの遺訓だそうです。1960年から1975年まで続いたベトナム戦争は、ハノイを首都としたホー・チ・ミン率いるベトナム民主共和国と、サイゴン(現ホーチミン)を首都とするベトナム共和国を支援するアメリカとの戦争で、米軍により投下された爆弾は750万トン、物量の規模では、第二次世界大戦に米軍が世界各地の戦場で使用した爆弾206万トンをしのぐ人類史上最大の戦争でした。死者はベトナムが約300万人。アメリカは約5万6000人で、延べ650万人のアメリカの若者が動員されました。

 この戦争で、アメリカはダイオキシンを含む75000キロリットルの枯葉剤をベトナムの地に撒きました。目的は、敵の潜むジャングルを絶滅し丸裸にすることと、農作物を汚染し食物として使えなくすることでした。1975年4月に、サイゴンが陥落し、ベトナム戦争は終わりますが、1969年に逝去したホー・チ・ミンは、破壊されていく国土を、再び縁豊かな地に変えることを遺訓としたそうです。

 植樹祭の前日、私はHUA国際交流室から、山形大学はどのような木を寄贈するのか、と問われました。ハス池の畔に直径1.5m、深さ1mの大きな穴が既に掘られており、あとは山形大学が寄贈する木を用意するだけだというのです。慌てて交換留学生に集まってもらい、樹種を考えました。日本を代表する桜、山形大学のシンボルの銀杏、などが挙げられましたが、いずれも入手不可能であることが分かりました。結局、植木屋に行ってくれた山形大学サテライト・オフィス管理人のハー君に一任したところ、彼の目をひときわ引いたカイコウズが選ばれました。花言葉は「夢」「童心」です。HUAと山形大学、あるいは、ベトナムと日本の友好関係が大きく育つことを見守ってくれることでしょう。

山形大学記念植樹の画像
山形大学記念植樹

日越友好40周年記念幕の画像
日越友好40周年記念幕