ホーム > 国際交流・留学 > 海外拠点情報(駐在記) > ハノイ海外拠点(ベトナム) > 大崎教授の海外駐在記「ベトナム国家農業大学駐在記4(3)」
ベトナム国家農業大学のキャンパスに、海鳴りのような歓声が沸き起こったのは、1月23日の午後5時過ぎでした。自動車の警笛も鳴り始め、騒ぎは次第に大きくなっていきました。中国であったアジアU23サッカー本戦で、東南アジア勢として史上初めて準決勝に進出したベトナムが、カタールに勝ったのです。U23サッカーチームとは、オリンピックのサッカー代表チームのことです。この日の騒ぎは深夜にまで及びました。
1月27日の決勝の日、ベトナムの相手は本戦1回戦で日本に勝ち、さらに準決勝で韓国にも勝ったウズベキスタンでした。この日は土曜日で、昼前に、街は赤いベトナム国旗一色に染まりました。各家が、国旗を立て、お店は、店外に国旗を立てるとともに、店内を小さな国旗で飾り、自動車もオートバイも国旗をつけ、子供たちや女性も、顔の頬や額に小さな国旗を貼り付けていました。通りの各所に、国旗の売り子も現れました。学生たちの話だと、国旗はいつもよりも値上げしているとのことでした。
パソコンやスマートフォンには、日本大使館より緊急警報が入ってきました。決勝戦は午後3時から始まるが、騒乱が予想されるので、人混みには近づかないようにとのことでした。しかし、午後になると、大学キャンパス内のゲストハウスから200mほど離れたNd講義棟の正面玄関口には、テレビの大型スクリーンが設置され、トラックの荷台には太鼓が置かれ、国旗を担いだ応援団の人々が続々と集まってきました。ゲストハウス周辺のコーヒーハウスには、応援に結集前の人々が、国旗を携え、賑やかに気勢を挙げていました。
試合が始まる5時頃には、雨が振り出しました。テレビに映る試合会場の中国常州は雪でした。私はゲストハウスでのテレビ観戦でしたが、チャンスには、外から大きなどよめきが伝わってきました。試合は、結局、延長後半終了2分前にウズベキスタンが決勝点を上げ、ベトナムは1-2で負けました。試合後、私は外に出ませんでしたが、静かな夜でした。試合直後に、クアン国家主席は、代表チームに1級労働勲章を、得点を挙げたMFのハイ選手、守りの要のGKのズン選手、そして韓国人の朴監督に3級労働勲章の授与を決め、フック首相も代表選手全員に功労賞を贈ると発表しました。
一夜明けた1月28日の日曜日に、山大日本語クラスは恒例の手巻き寿司パーティーを行いました。午前9時半に、ゲストハウスに10数人の学生たちが集まり、タクシー3台とバイク数台に分乗して、車で15分ほどのイオンモールロンビエン店に、具材の買い出しに出かけていきました。タクシーは、日本では規制が厳しいウーバーを利用しました。アプリで車を呼ぶシステムで、インドネシアやラトビアで重宝したのですが、行き先を予め告げて呼び、最寄りの車より料金が提示されてきます。一般のタクシーだと、イオンモールまでは、7万~10万ドンかかりますが、6万ドン(300円)で済みました。
手巻き寿司パーティーは、ゲストハウスの2階でおこないました。参加者は、21名と、例年より少なかったです。旧正月のテトが近づいた日曜日で、故郷に戻る学生も多く、彼女の実家に挨拶に行くから、とか、親が出てくるので参加できない、という学生もいました。しかし、買って来た2キロのコシヒカリはすぐになくなりました。