ホーム > 国際交流・留学 > 学生大使派遣プログラムについて > 令和5年度学生大使派遣プログラム > H29ラトビア大学編 > 加藤悠平

加藤悠平 理学部物理学科 2年

派遣期間:平成29年8月21日~2017年9月4日(16日間)

<日本語教室での活動内容>
 授業は、月、水、木、金曜日の14時30分から17時30分、Beginner、Middle、Advanceに分けて行った。また、水、金曜はさらにevening classとして17時30分から19時まで授業を行った。私が、ラトビアに到着したのは8月23日の夕方だったため、授業は24日から行った。24日、想像以上に多くの受講者が日本語教室に来て正直戸惑った。受講生はおよそ50人ほどであったが、日本語を教えることができるのは私も含め山形大学生学生大使2人と、秋田の大学から留学でラトビアにいらっしゃっている先輩、計3人だった。教室はさほど広くなく、ホワイトボードが前に一つしかないため、初回の授業で日本語を教えるのは至難の業だった。Beginner classのほとんどの受講生は、ひらがなを知らなかったため、初めにひらがなを教えるところから始めた。あ、い、う、え、おの基本的な母音と、k、s、n…というような子音が組み合わさってひらがなは形成されるということをパターンで教えたところ、すぐに理解してもらえた。授業を行ってみて、私たち教える側と、受講生の間にすこし壁があるような気がした。どうにか壁を取り払う方法はないものかと考え、「ひとりひとりの名前を覚えること」を心がけるようにした。名前を覚えてから、少しずつではあったが、打ち解けることができ、授業の雰囲気も和やかになったように感じた。教える側が一方的に教えるだけでは、自分で考えるという一番大事なことが抜けてしまうので、例文を教えたらそれと似たような文を自分で考えて書く、という時間も設けた。その時間で質問をされることが多かった。質問ができる、ということは自分で考えているという証拠なので説明するのは難しかったが、とても喜ばしかった。帰国する際は、新たに来た山大生にも名前を覚えてもらい、また教えた内容を伝えることで授業を引き継いだ。

<日本語教室以外での交流活動>
 日本語教室の受講生と一緒に、夕食を食べに行ったり、街をまわったりした。世界遺産であるリガの町並みは、どこを見ても日本にはない独特な雰囲気で、ただそこにいるだけでとても楽しかった。物価も安く、買い物はRimiというスーパーで済ませばかなり節約できると思われる。週末には、バスを使ってリトアニアにも行った。ラトビアのリガとはまた違い、すこし静かで居心地のいい国だった。学生大使派遣プログラム、最終週にはラトビアで有名なアイスホッケーのゲームを見に行った。初めてアイスホッケーという競技を実際に見たが、会場の雰囲気も華やかでとても興奮した。

<参加目標への達成度と努力した内容>
 私が、学生大使派遣プログラムに参加した理由は、日本という殻に閉じこもっているのではなく外に出ることで自分を成長させたいと思ったからである。なにを基準に成長というのかは分からないが、日本をでる前と、日本に帰ってきてからで自分の中の何かが確実に違う。いま具体的に、何が変わったということはできないが、明らかに自信がついた、ということだけはいえる。自信がついた、というより「失敗をすることが怖くなくなった」、といったほうが正しいのかもしれない。ラトビアでの学生大使派遣プログラム期間中、ほんとうに失敗することのほうが多かった。
 リガへの道のりは、派遣期間が被っている1年生と一緒だった。まず、初めに日本発の飛行機の遅延による経由地での乗り継ぎの失敗。経由地は、北京であったが、なかなか訛りが強い英語でコミュニケーションをとるのが大変だった。二日後の次の便に乗るための手続きは、空港近くにあるオフィスに行き、遅延証明書を発行してもらい、新しいチケットを予約してもらうことで無事終えることができた。次の便までの二日間、長い闘いだった。何事もなく、リガに着くことができたのは私一人ではなかったからである。本当に感謝しても感謝しきれない。
 リガ滞在中は、多くの受講生に対し、自分の言いたいことが伝えられなく、悔しい思いをした。それでも、必死に自分の拙い英語を理解しようとしてくれる受講生のために、自分も図を書くなどあらゆる手段を使って伝えた。受講生は、私が何を言いたいのかが分かると反応で示してくれたので、伝わっているのが分かったとき、教えることの楽しさを知ることができた。
 日本へ帰る便でまたハプニングは起こった。搭乗口が予告なく変更されており、それをスタッフも把握しきれていない状況だった。なぜ、搭乗口が変更になっているのか、確認をとり、同じ便にのる乗客たちとコミュニケーションをとった。ここで、私が思ったことは英語を話す自信がついているということ。私は、英語を話すのは苦手な方だが、日本語教室での経験のおかげで、失敗することははもう怖くなかった。だから、失敗を恐れず英語で話すことができた。飛行機は、2時間ほど遅れたが、そのあとの乗り継ぎもスムーズにいき、無事日本に帰って来られた。
 この2週間、日本でいつもの生活をしていたら絶対にできない経験をした。失敗も多かったが、その分自信もついた。今回、学生大使派遣プログラムに参加できて、本当に良かったと思う。

<プログラムに参加した感想>
 教える、ということは思っていたよりずっと難しく、楽しいものであった。私たち日本人は、自然と日本語を話せる様になったため、あまり日本語を勉強したことがない。勉強したことのないものを言葉で教えるのは、難しかった。日本人には、日本語の勘というものがあるような気がする。いちいち考えなくても、動詞の活用を使って話ができたり、見たことのない漢字でも漢字のパーツを見ることで意味が分かってしまったりするからである。日本語の勘は相手にないことを前提に、これくらいは分かっているだろうと思われることでもその都度教えるようにした。分かったときに、反応で示してくれる受講生がほとんどで本当に授業がしやすく、教えることの楽しさを実感できた。私は教員免許の取得を目指して、教職の授業を履修しているので、今回「教える」ということを実際に体験できたのはとてもいい機会だった。

<今回の経験による今後の展望>
 ラトビアで、約2週間生活して自分の英語でも伝わるという自信がついたのは確かではあるが、自分の言いたいことが伝えられなく悔しい思いをした場面がよくあった。ラトビアに行く前は、インプット重視で参考書を読むことの方が多かった。後期からは、留学生と積極的に交流し、常にアウトプットできる環境を作ろうと思っている。留学生と交流することで、様々な国の文化についても知りたいと思う。
 また、日本から出たことで視野が少し広がった気がする。私は、自分の興味のあること以外は、シャットアウトしてしまうようなところがあった。ラトビアの文化を直に体感することで、多様性の面白さというものを知ることができた。より広い視野を持ち、何にでも興味を示していこうと思う。

Rigaの景色の画像
Rigaの景色

ブレーメンの音楽隊の画像
ブレーメンの音楽隊

聖ペテロ教会の画像
聖ペテロ教会

ラトビアの友達からのプレゼントの画像
ラトビアの友達からのプレゼント