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金子千明 工学部 建築デザイン学科 2年

ラトビア大学(平成30年3月4日~3月18日) 

〇日本語教室での活動内容

 私は比較的遅く派遣されたため、到着した時点ですでに授業体制は出来上がっていた。また、日本人の人数に比べラトビアの受講生数が少なかったこともあり、初日はほかの受講生と二人一組で教え、教室の様子を見ることになった。授業はインターネット上の教材や日本から持参した漢字ドリル、また中級クラスの受講生の私物のテキストを借り、初級クラスの教材としたこともあった。授業は演習や会話を主とする構成にした。初めにその日取り扱う文法や会話について解説をし、その後演習問題を解いてもらうという形だ。基本的に受講生とはマンツーマンだったため、演習問題を一緒に解きながらわからない日本語を教えたり、つまずいたところの解説をしたり、作った文章で実際に会話練習をしたりすることができた。もちろん、受講生のレベルを見極めることが何よりも大切だと事前授業でも聞いていたため、コミュニケーションを通して受講生の理解度や学びたいことを見つけるようにした。

 私は今回、日本人にしか教えられないことを教えようと密かに心がけていた。そのため、漢字の成り立ちや微妙な言葉のニュアンス、果ては日本の歴史や社会システムに至るまで、受講生の疑問や興味に極力答えるようにした。印象的な例では、漢字問題に出てきた「華族」を日本の貴族である、と説明したところ、近代日本の成り立ちまでさかのぼり、日本の貴族制度について議論することになった。これに関しては私自身よく理解していない部分があったり、理解していてもそれを簡単な日本語で伝えることができなかったり(受講生は英語が話せなかった)と、説明するのに大変苦労した。

 ホワイトボードを持っていって授業に使うといいと事前に聞いてはいたが、私はホワイトボードのかわりにスケッチブックを持っていった。そこに漢字や解説を書いたり、英語が伝わらない場合に図を描いたりして授業をした。その紙を見るとその日の授業の流れが分かりやすいため、授業後に希望する受講生に渡すとかなり喜ばれた。 

〇日本語教室以外での交流活動

 授業の開始時間が基本的に平日の16時半以降だったため、日中は自由に使うことができた。旧市街や博物館、ユールマラや隣国であるリトアニアまで、これ以上ないほどラトビアを満喫することができた。ラトビアに行くにあたって、最低限の歴史と観光名所を調べていった。それは一人で旧市街を歩いても楽しめる程度のものだったが、案内してくれた学生による現地の声を聴いたあとでは、それは氷山の一角だったと思い知らされた。

 授業後に受講生とともに日本食レストランへ行った。そこで歴史を知っているかと問いかけられ、ある程度は分かると返すと、ラトビアの近年まで周辺国から支配を受けてきた歴史、その結果現在ラトビアでわずかながらも対立が生まれていることを教えられ、日本ではどうなのか、これについてどう思うかと問われた。日本ではほぼ初対面の相手と歴史について自分の意見を語ることなどほぼない。これにたどたどしい英語で返した私の意見をしっかりと受け止めてくれたうえで、現地の生きた声を聴かせてくれたこの体験は到底忘れられないものだった。 

〇参加目標の達成度と努力した内容

 私はこのプログラムに参加するにあたり、広く多くの人と関わることを目標にしていた。それは自分の交友関係を広げるとともに、視野を広めることにもつながると思ったからだ。ラトビアでは、日本語教室の受講生にとどまらず、その受講生の友達や寮でできた友人、ルームメイト、本当にたくさんの人々と関わることができたと思う。そして彼らとの交流を通じて、確かに自分の視野が広がったと感じる。ラトビアはすべての人が英語を話せるわけではなかった。ロシアとのかかわりが多いため、街を歩いてもロシア語が飛び交っていたり、看板の表示もバルト三国の言語とロシア語、という組み合わせが多かったりと、英語が世界共通語とみなされている日本とは全く違う感覚だった。とはいえ現地の人は優しく、道を聞くと英語を話せる人を呼んできて教えてくれたり、ジェスチャーで教えてくれたりするので特に不便は感じなかった。

 また、私は日本の歴史や文化についてまだまだ知らないことがたくさんあるとも気づかされた。受講生と街を歩いていて、建物の由来やラトビアの歴史を尋ねるとよどみなく答えてくれた。しかし自分が日本の歴史や社会状況について尋ねられると、ときどき答えることができなかった。受講生は皆日本に興味を持ってくれ、なかには日本に行ったら案内することを約束した人もいたが、自分が彼らに日本の街を案内するとき、彼らがラトビアで私にしてくれたようにできるのかは自信がない。今回ラトビアで多くの人と関わった結果、私は世界に目を向けるとともに日本国内に目を向けることの重要性を思い知らされた気がした。 

〇プログラムに参加した感想

 ラトビアという国を選んだのは、単純にヨーロッパに行ったことがなかったからだった。また、日本国内でできる英語学習に行き詰まりを感じ、更なる英語力の向上を図りたいと思ったのも理由の一つだ。しかし今、プログラムを終えた後で思うのは、ヨーロッパの中でもラトビアに行くことができて本当によかったということだ。例えばイギリスやフランス、ドイツなど、ヨーロッパと聞いて大抵の日本人が想像する国とは違い、日本にいる段階ではインターネットで調べてもラトビアの情報は多くなかった。それゆえ現地で見聞きしたこと、そのすべてが私には新鮮に映った。仮に個人旅行でラトビアを訪れたとしても、学生大使として派遣された今回ほど現地の人とコミュニケーションをとる機会はなかっただろう。これからの進路に悩むこの時期に、自分の視野を広げられたのはとてもいい経験だった。この経験を今後の学生生活のみならず、人生にも生かしていきたい。 

〇今回の経験による今後の展望

 プログラムに参加してみて、自分の考えを持つことの大切さを痛感した。世界や日本国内に目を向け知識を増やすことはもちろんだが、それについて自分の考えを持てるようになりたいと思った。そしてそれを説明するためには英語力も必要になってくるだろう。英語は世界中どこに行っても通じるわけではないが、せめて英語が通じる相手とは意見を交換できる程度の英語力を身につけたい。

 そして、機会があればまたこのプログラムに参加してみたいとも思う。ただ一度きりの派遣を通して満足するのではなく、二度目、三度目と回を重ねていくごとに自分の成長を感じることができたら、より有意義な活動になるだろう。

旧市街の城壁前で
歴史について話しながら街を案内してくれた。この日は国際女性デーだったため普段よりも活気があったの画像
旧市街の城壁前で
歴史について話しながら街を案内してくれた。この日は国際女性デーだったため普段よりも活気があった

日本語学校の様子
ほぼマンツーマンか日本人のほうが多い程度だった。教室は小さいがちょうどいいくらいのサイズの画像
日本語学校の様子
ほぼマンツーマンか日本人のほうが多い程度だった。教室は小さいがちょうどいいくらいのサイズ

受講生の自宅に行ってラトビアの伝統的料理のお昼をごちそうになるの画像
受講生の自宅に行ってラトビアの伝統的料理のお昼をごちそうになる