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大崎教授の海外駐在記「延辺大学駐在記3(4)」

 5月7日の昼過ぎに延吉空港を立ち、韓国仁川空港経由で、8日の未明に自宅に戻りました。7日の午前8時30分から、延辺大学交際交流合作処の会議室で、新処長になった金永燦さんと、外事科日本担当の黄琴海さん、山形大学国際交流室の岩崎聡子さん、それと私の4人で、山形大学の日本語チューター派遣プログラムについて、いろいろと話し合いをしました。処長は新潟大学、黄さんは早稲田大学に留学していたそうです。

 延辺大学に対する日本語チューターの派遣依頼は、2年前から、外国語学院副院長で日本語学科主任の全永男先生から、幾度となくありました。山形大学もそれに応えて、今年からの派遣を検討し、岩崎聡子さんを5月5日より10日間派遣して、実際の体験を通した現地実情調査を行い、学生職員の派遣に備えています。

 今回、全先生とはなかなか会う時間が取れませんでした。私が延吉に着いた時には、彼は母校の大阪大学に出張中で、中国にいませんでした。彼が帰国してみると、母親の体調が悪く実家に帰省され、延辺大学に戻ると、彼と私の予定がびっしり詰まっていて、会えたのは、私の離中2日前の、岩崎さんが延吉にやってきた5月5日でした。

 この日、全先生とは、昼と夜の2回会ったのですが、彼にとって念願の日本語チュータープログラムが実現すると言うので、大きな期待感とともに、彼の実施構想を熱心に語ってくれました。それによると、日本語チューターを、日本語が比較的できる学生たちの正規授業の中に繰り込み、学生たちのいかにも外国人風の日本語を、同世代の日本人が話すような日本語にしたい、と言うことでした。

 それに対して、山形大学の日本語チュータープログラムの売りは、「英語で教える日本語」であり、「誰でも何時でも何度でも」の、日本語チューターが主体の課外授業の日本語クラスです。そのことを全先生に説明したのですが、全先生は、学生たちの交流の期待は縷々述べるのですが、授業に対する構想には深く期するものがあるようでした。

 翌6日に、私は国際交流合作処の新しい副処長になった金銀松さんに相談に行きました。彼は全先生の元学生で、全先生の片腕的な存在です。秋田県庁で1年間の研修経験があります。しかし、金副処長は出張中で、居合わせた黄琴海さんと雑談をして戻りました。

 その夜、金銀松さんから電話がかかってきました。そこで、相談の内容を話すと、「明日の先生の帰国前に、金永燦処長との会談を設定するから、先生の希望を率直に正直に話してください。処長が良い案を考えてくれると思います」と言いました。

 私の話を聞いた金永燦処長は、「日本語クラスを、国際交流合作処主管の継続教育学院で開講し、全学対象の課外授業にし、上級自由日本語クラスを設けて日本語学科の学生に備え、チューターが多く滞在するときには、日本語学科の正規授業にも参加する、と言うのはどうですか」と提案されました。また、その場で外国語学院の全先生に電話して、同意を取り、「山形大学との交流推進を、処長としての私の初仕事としたい」と言いました。

 「山形大学の皆さんには、主に9月と3月に来て欲しい。国際学生寮を開けて待っています」チューターには、中国語と朝鮮語も学べる「英語で教える日本語クラス」です。

延辺大学国際交流合作処:左側低層は国際学生寮、右側高層はゲストハウスの画像
延辺大学国際交流合作処:左側低層は国際学生寮、右側高層はゲストハウス

国際合作処の金永燦処長と岩崎聡子さんの画像
国際合作処の金永燦処長と岩崎聡子さん