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大崎教授の海外駐在記「ラトビア大学駐在記(1)」

 9月12日から、ラトビアの首都リーガにある、ラトビア大学に駐在しています。ラトビアはバルト海を挟んでスウェーデンに対峙している旧ソ連領のバルト3国の中央に位置する国です。北にエストニア、南にリトアニアがあり、ソ連崩壊後は独立し、EUに参加しました。人口は202万人で、首都リーガはバルト海に面した人口70万の港町です。ラトビアは中世より、スウェーデン、ドイツ、ロシアなどの周辺諸国に繰り返し支配され、近代、初めての独立を達成したのは第1次世界大戦後の1918年で、ロシアから独立しました。

 翌1919年に、国内の高等教育機関を統合してラトビア大学が創設され、総合大学として発展したそうですが、1945年に国がソ連に併合され、ソ連の方針で、ラトビア大学から、医科大学、工科大学、農科大学が分離独立させられて、現在に至っています。

 しかし、1998年にソ連が崩壊し、ラトビアは再び独立国家に戻ると、分離独立した医科大学とは別に、国家独立の年に、ラトビア大学内に、独自に医学部を再建しました。現在は、神学部、法学部、医学部、歴史哲学学部、教育心理美術学部、語学文化学部、社会科学学部、経済経営学部、物理数学学部、化学学部、生物学部、地質地球科学学部、コンピューター学部、の13学部と、20の研究所を擁しています。在籍する学部学生は1万9095人、修士4718人、博士853人、留学生は211人、教員は約1400人います。

 ラトビア大学の学部構成は、中世ヨーロッパの大学を模しています。中世に、大学は、哲学、神学、法学、医学の4つの学部から構成されていました。哲学とはリベラルアーツ(自由七科)のことで、算術、幾何、天文、楽理、文法、論理、修辞の七科を含み、哲学を学んで学士を取得後に、修士や博士となる専門の、神学部、法学部、医学部に進学しました。したがって、ラトビア大学にとって、大学構成上、医学部は必要不可欠のようです。半地下4階建ての大学本部ビルには、屋上に哲学の象徴の天文台があり、神学部、法学部、医学部、天文学研究所、地学・測地学研究所、などが同居しています。

 ラトビア大学の特徴は、ヨーロッパの古い大学同様に、キャンパスがない事です。教師と学生が出会って授業をできる場があれば良い、という発想です。首都リーガの旧市街は、街全体がユネスコの世界文化遺産に登録されている中世の古い石造りの街並みですが、各学部や研究所の建物は、旧市街の内外に脈絡なく散らばっています。各学部の建物に隣接するのは、政府の省庁、大使館、劇場、オペラハウス、銀行、デパート、モール、1階にレストランやカフェがある事務所やアパートなど、様々に異なる石造りの建物です。

 私のデスクは、石造り半地下5階建ての生物学部の3階の、分子生物学を専攻するニルス学部長の部屋に用意されていました。背中合わせに会議用のデスクが置いてあり、今も、ニルス先生と学生が学位論文の事で話し合っています。この建物は、天井が高く重厚ですが、建物全体でトイレが1か所しかなく、しかも小便器は2個だけです。

 私の宿舎は、路面電車で20分離れた郊外にある学寮内のゲスト・ルームで、教育心理美術学部の学寮だそうです。周囲一帯は、公園とも森とも判別のつかない広大な緑地で、廃墟とも見える大きな家屋や、兵舎のような建物が、道沿いに疎らに佇んでいます。

ラトビア大学本部。後方中央にある、木に囲まれたドームのある建物の画像
ラトビア大学本部。後方中央にある、木に囲まれたドームのある建物

生物学部。中央左側の木に囲まれた建物の画像
生物学部。中央左側の木に囲まれた建物