卒業生メッセージ
開学75周年を迎え、卒業生の皆様からメッセージを頂戴しましたのでご紹介します。
【掲載順:五十音順】

私は人文学部の総合政策学科が誕生した1996年に入学し、1年目からその後師事する教授の研究室に入り浸りインターネット社会を渡り歩きました。当時学んだことは、特定の考えに振り回されないための「事象に対する解像度の上げ下げ」です。宗教、文化、国家、法律、ビジネス、テクノロジーなど様々な切り口を学ぶことができました。学生の皆さんは、デジタル技術が様々なカタチで生活に入り込んでくる社会においてキャリアを積んでいきます。AI等のサジェスチョンに振り回されないように自身の立ち位置を掴みつつ、たまには振り回されることも楽しむセンスも必要です。デジタル社会では無責任なアドバイスも多く、「道を間違う」ことも「道を踏み外す」ことも増えるでしょう。「しなやかさ」や「したたかさ」をもって活躍頂きたいと思います。

山形大学開学75周年誠におめでとうございます。
教育実習や研究室、部活動などがむしゃらに過ごした日々はどの瞬間も「宝」だったと、卒業から月日を重ねるごとに強く感じます。
大学生活で頑張ったこと、楽しかったこと、失敗したこと、苦楽を共にした仲間、すべてが将来の自分を支える財産となるはずです。
私の卒業した栄養士を取得できるコースは今やなくなってしまいましたが、時代の変化とともに必要な学びを追求し変化続ける山形大学は、まさに学生に寄り添った大学なのだと誇りに思います。
そんな山形大学での生活を存分に楽しんでたくさん学び、オンリーワンな卒業生として社会に羽ばたいていく皆さんを心より応援しております。

開学75周年おめでとうございます。工学部では電気化学に興味を持ち、当時工学部長であった佐藤誠先生の下で研究を行い、後の自分のライフワークとなる「π共役系導電性ポリマー」の研究・事業化につながりました。導電性ポリマーを様々な製品に応用できたのも「モノをあらゆる角度から見つめる」こと、「自分一人ではなく多くの仲間の意見も大切にする」ことができたからだと思います。学生の皆さんにも是非多様な仲間づくりをしてもらいたいと思います。
井口 雄一
トランスユーロ株式会社 代表取締役社長

私は、1992年3月に山大の旧人文学部を卒業しました。最近は、歳のせいか母校の未来を思うことが殊のほか多くなっています、不思議なものです。大学生活の過ごし方、これはその後の人生に大きな影響を与えます。今は「何ができるか」ではなく「何をしたいか」をトコトンまで考えて下さい。そして、悩んで下さい。Think different、私の好きな言葉です。今やっていることがどこかに繋がると信じて下さい。そうすれば、他の人と違う道を歩いていても、自信を持って歩き続けることができます。
上田 準二
ファミリーマート株式会社
元代表取締役社長

「開学75周年」心よりお祝い申し上げます。今日までに6学部6研究科を擁する東日本有数の総合大学に発展した事、卒業生として誇りであり喜びであります。山形での4年間、いまでも心に残っているのは、学寮やアパートでの先輩・後輩達との議論やお互いの悩みごとの壁を乗り越える議論など今でも鮮明に思い出されます。コミュニケーション力、聞く力、発信力、忍耐力、許容性が磨かれたような気がします。その事が実業界に入ってから自然と力になっているように思います。山形大学、ありがとうございました。
大島 千佳
福井県立大学健康生活科学研究科 教授
(樹氷会 会長)

開学75周年、誠におめでとうございます。山形蔵王の雄大な自然に囲まれ、山形大学で過ごした日々は、私にとって一生の宝物です。ご指導いただいた先生方、共に学んだ仲間たち、そして後輩の皆さん、本当にありがとうございました。学生時代は、失敗を恐れず、様々なことに果敢に挑戦してみてください。その経験は、必ずや皆さんの未来を切り開く力となります。仲間との絆を大切に、大学生活を満喫してください。卒業後も、その絆が心のよりどころとなります。皆さんが、山形大学で培った知識と経験を活かし、地域社会の発展に貢献されることを心から応援しております。山形大学が、今後も地域社会と連携し、世界に羽ばたく人材を育成されることを祈念しております。
大沼 哲夫
科研製薬株式会社
元代表取締役社長・元相談役

今は、IT革命に伴うグローバル化の時代である。これ迄の既成概念が全て崩れ去る社会にあって、大学が次代の趨勢を鋭く見つめ、未来社会の人材育成に向け事業展開を計っているのは素晴らしい事です。如何に社会背景が変化しても、求められる人間像は「読み、書き、思考力」であり、「挑戦、創造、忍耐力」そして人と社会に尽す力でありましょう。未来を創りゆくのは若人の情熱と力に懸っています。自身の力と可能性を信じ、人生の目標に全力で突き進んで下さい。

私は学生時代電子工学を専攻していました。山大での学生生活で得た知識やスキル、そして仲間たちとの出会いが、現在の私を支えてくれています。
皆さんも、専門的な知識の習得、多様な価値観や背景を持つ人々との出会いを大切に、色々な事へチャレンジしてください。学生時代の経験は、その後の自己成長のための大きな力となります。現在のグローバルの世界では、過去の事象では想定できない事が起きています。自分の夢を追い求め、失敗を恐れずに新しいことへ挑戦し続けることを期待しています。
菅野 淳
公益財団法人日本サッカー協会
フィジカルフィットネスプロジェクトリーダー

山形大学開学75周年おめでとうございます。私が山形大学在学当時と比べると、日本サッカーは想像もできないほどの発展を遂げております。1993年Jリーグ開幕、1998年FIFAワールドカップフランス大会に日本代表が初出場、現在では海外のクラブで活躍する選手が多数存在しています。私が所属するJFAでは、2050年までに日本代表がワールドカップで優勝するという大きな夢を持って日々邁進しています。夢を見るだけではなく夢の実現に立ち向かうには勇気が必要です。山形大学在学中のみなさんには、大いなる夢に向かって勇気を持って勉学に励んでいただきたいと思います。

山形大学創立75周年誠におめでどうございます。
大自然に恵まれた山形そして鶴岡での学生生活は厳しくもあり、温かくもあり、貴重な経験は今尚私の大きな財産となっています。
人生或いは社会生活においては様々な局面で多くの困難に遭遇すると思います。
どの道を選択して進んで行くのか?それは自分自身の価値観に依るものです。
大自然に恵まれた山形の地で先生方そして多くの仲間とふれあい、自分の人生の価値観をつくる大切な時と考えます。
先ずは学生生活を満喫。そして考えた事を失敗を恐れず、何事にも真摯に挑戦してみることが一番大事なことと考えます。
最後になりますが、山形大学の更なる発展を祈念しております。
後藤 あや
ハーバード公衆衛生大学院国際保健・人口学講座
武見太郎国際地域保健教授 武見国際保健プログラム 主任教授

開学75周年、誠におめでとうございます。山形大学で学部学生として6年、博士課程大学院生として4年半、途中でハーバード公衆衛生大学院公衆衛生修士課程への留学を挟み、10年以上にわたり学んだことが、現在の仕事の土台となっています。海外に行くことばかりを考えていた学生で、それを温かく支援して下さる指導者に恵まれました。2024年1月からハーバード公衆衛生大学院に、今度は教員として着任しています。一歩外に出てみると、新しい環境の中で新たな交流が生まれ、世界が広がります。そのような土壌がある山形大学のさらなる発展を祈念しております。
小林 廣樹
みらいエフピー株式会社(M&Aキャピタルパートナーズ株式会社)
代表取締役社長

開学75周年、誠におめでとうございます。東日本有数の総合大学として大きく発展されましたこと、卒業生として大変嬉しく思います。
私は現在、再生型M&Aという領域において「市場」を創り、コロナ禍で苦境にあえぐ企業様の抜本的な再生と引いては日本経済の新陳代謝を促進し、国際競争力の高い産業構造への転換を図るべく日夜問わず、優秀なメンバーと経営者という立場で挑戦しております。
引っ込み思案である私がここまで発想の転換ができたのは山形大学で挑戦した日々が原点にあったと思います。是非、山形大学で大いに学び、達成できない目標に果敢に挑戦し、素晴らしい友人とのかけがえのない4年間を過ごしてください。
山形大学の皆様のご活躍を祈念いたします。
寒河江 浩二
株式会社 山形新聞社
代表取締役会長・主筆

山形大学開学75周年、誠におめでとうございます。戦後間もなく新制大学としてスタートし、有為の人材を世に送り出してきました。そして人材育成の拠点として県民の期待を一身に背負ってきました。地元にいて、大学の存在を身近に感じられる、というのもうれしいことです。卒業して半世紀経ちますが、心のよりどころは、学生当時とそう違ってはいないように思います。毎年入社してくる新人記者には「一生懸命、楽しく」という言葉を贈っています。一生懸命我慢して努力すれば、いずれ仕事の面白さ、楽しさが分かってくる。そこまで頑張れ、ということです。これは昔、愛読していた大江健三郎の恩師・渡辺一夫先生が卒業生に贈った言葉だといいます。まさに温故知新ではないでしょうか。
笹木 郁乃
株式会社LITA
代表取締役 PRプロデューサー

私は現在、PR会社を経営していて、社員と共に上場を目指しています。沢山の挑戦に囲まれ、新しい景色を見られている今は、幸せで贅沢な毎日だと感じています。
そんな私の経営者人生の原点は、山形大学の学生時代の経験があると心から思っています。大学生活では、自分が将来どんな風になりたいか。どんな大学生活を送りたいか。
自分で毎日選択することができます。
「自分で未来を見据え決断し、結果を出していく」ことを、山形大学で存分に挑戦させて頂けたことが、今の私をつくっています。
皆さんは、今、何のために学生生活の時間を使いますか!?

開学75周年、誠におめでとうございます。
私は人文学部を1989年に卒業しました。社会に出ると、仕事のみならず、人生においても様々な局面で、困難に遭遇します。そこを逃げずに、困難を乗り越えていくためには、自ら考え、自分なりの価値観に基づき行動する必要があります。その基礎を山大の銀杏並木を毎日行き来して、友人と語り合い、学問に接する中で、私は培ったと思います。
地政学的リスクの拡大、国際経済秩序が激動する時代の中、山形大学で自らが大切にすることは何かをじっくりと考えてください。それは、自らの人生に大いに役立ちます。そして、人生の目標に果敢に挑戦してください。

今にして振りかえると、私が最も多くの本を読んだのは、山形大学にすごした四年間でした。高校まではマンガしか読みませんでしたし、山形大学を卒業した後は、進んだ大学院では専門の勉強に追われ、作家になってからも書くほうが忙しく、やはり本など満足に読めていません。語学も、英語は措くとして、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ラテン語と、全て山形大学にいた頃に始めました。
思えば、私にとっての本当の意味での学びは、全て山形大学にありました。学ぶ気持ちさえあれば、どれだけでも学ぶことができる。それを許す環境、それを促す雰囲気が、山形大学には確かにある。在学の皆さんも、大いに学んでほしいと思います。
(写真提供、新潮社)
菅原 幸司
株式会社理研分析センター 代表取締役会長

山形大学創立75周年をお祝い申し上げます。
恩師の方々、先輩諸兄また同輩諸兄には大変お世話になりました。誠に感謝いたしております。
在学中に培う学ぶ力は人生の宝になります。先生方との出会い、仲間たちとの交流によって醸される、価値観、美意識は終生の友になり人格的自由の礎になります。
今、世の中は歴史的転換のただなかにあります。そして、機会は変化の中に紛れています。日常の中での気付きが大切です。
自らの判断に従う勇気を養いましょう。決断し一歩を踏み出す時に必要になります。
目を見開きながら、全力で学生生活を謳歌していただきたいと思います。

山形大学開学75周年、誠におめでとうございます。
理学部・化学科を卒業し、半導体の製造工程の開発・量産という仕事に20年以上従事しました。
現在、私は水中写真家という一見全く違う分野に身をおいておりますが山形大学で学んだ計画、事前調査、結果の分析や考察などの考え方は写真という表現を行っていく上で非常に役に立っております。
感性も重要ですがそれを発揮させる段取りも重要なのです。
学生の皆さん。人生なにが起こるかわかりません。
勉学に励むのはもちろんとして趣味や興味のあることに熱中できるのも学生の特権です。
それが人生のターニングポイントになる可能性もあるのです。
大事なことは自分がしたい事を追求する事。
それは在学中も卒業後もかわらない事なのです。
丹野 修
元東京都駒沢オリンピック公園総合運動場所長
(一社)日本森林インストラクター協会/森林インストラクター東京会
森林インストラクター

祝 山形大学開学75周年
1968年に農学部園芸学科一期生として入学、1974年大学院を修了、都庁で公園緑地行政に携わり、現在は主に森林インストラクターとして高尾山を中心に自然観察や清掃活動をしています。
学生時代は寮に入り浸り、育った環境の違う仲間と酒を酌み交わし、アルバイトで人生勉強、そして山形特有の美・自然に誘われ刺激を受け、1972年誕生の小笠原国立公園への夢を持ち続け入都6年目から2年間小笠原赴任、夢が叶いました。山形大学に在籍したお陰で人格の形成・人生の進路決定につながり感謝しています。山形は私にとって第二の故郷になりました。
学生の皆さん、大いに学び・夢を求めて悩み・唯一無二の学生時代を存分に楽しんで下さい。
長南 博昭
元山形県教育庁教育次長/元山形大学地域教育文化学部教授
元山形県教育委員会委員長 NEW!

母校開学75周年の今、国際社会におけるデジタル競争力29位、いじめの急増、教員志望者減少など、難問が明らかになっている。この源は、「教育の力」である。この状況を打開するために山形大学の真価が問われている。その対応が、教員養成に特化する教育学部の復活を21年ぶりに目指し、来年度から「社会共創デジタル学環」が創設される。これは、混沌としていく社会に輝く「教育県山形」の証である。60年前の私は、「常時微動の測定」で富山県黒部扇状地の地下構造を探るため、現地調査を2が月間も続け、とにかく行動していた。「ここ」で私の土台は培われたのである。自らの取組で「発想力」と「行動力」を身に着け、目的を達成するために、お互いに努力し続ける人になりたいものである。
西海 和久
株式会社ブリヂストン
元取締役代表執行役COO

入学当時は東大紛争の最中、その後卒業の頃はオイルショック不況と節目節目で足元が揺らぐ激動の時代でした。そんな中で山形の自然、そして先生方始め多くの仲間とのふれあいの中で己の「人生の価値観」が育まれたと思っています。困難に直面した時に、逃げたい気持ちとチャレンジする気持ちの差は紙一重です。勿論、成功すれば達成感や一段の成長も感じられるでしょう。が、例え失敗したとしても、逃げた事の後悔は強く残り、挑戦し失敗した事は良い思い出になっています。あくまで私の経験ですが。
後輩の皆さん、「自分は何の為に〇〇に取り組むのか?」学生時代にじっくりと「人生の価値観」に向き合い、将来の自己実現に向け頑張って下さい。

私が山形大学特設音楽科に入学し一歩学内に足を踏み入れた時、トランペット,フルート,バイオリン,ピアノ,そして歌声、、溢れる音に包まれ,大好きな音楽の世界に飛び込めた喜びで胸が一杯になった事,今もはっきり蘇ります。
大学は,自分が一生紡いで行ける夢を見つける場所,と私は思います。そしてその夢に向かって本物の情熱を傾けて精一杯生きて行けば,素晴らしい出逢いがきっと訪れると信じています。私に作曲家中田喜直さん,ボニージャックスを始めとする数多くの幸せな巡り合いがあったように。今も大学時代と全く同じ思いで音楽と向き合い,地元では勿論、全国そしてウイーンでも歌っています。息子,望もまた山大音楽科大学院を経て、バリトンの歌い手として共演のステージも多く有ります。彼もまた大学で大きな夢を見つけました。山大は私たち母子にとっても大切な故郷です。

開学75周年誠におめでとうございます。私は1980年に医学部卒、1984年大学院修了後、2年間のマックマスター大学留学を含め2002年まで山形大学医学部内科学第三講座で研究・教育・診療に従事しました。その後は寒河江市立病院、山形県立中央病院、山形済生病院で糖尿病や内分泌疾患の診療に継続して従事しており、今も山形大学と連携しています。山形県医師会には2015年常任理事、2022年副会長を経て2024年5月に山形大学卒業生として初めて会長に選出されました。医学部の卒業生はほとんどが医療職なので、どこかでつながっています。学生時代の仲間達とは今でも付き合いがあり、様々なことで助けられています。学生時代の付き合いは一生の絆です。
持田 訓
株式会社小森コーポレーション
代表取締役社長

山形大学創立75周年、誠におめでとうございます。山形大学に関係する多くの方々と共に衷心からお慶びを申し上げます。
大学教育では、次世代を担うリーダーの本質を育む環境に適応するための多様性を学んでください。また、私は「包括的な連携協定」の貴学の有機材料研究の深い知見と当社の技術融合による事業創造に大いに期待しています。
開学100年を目指して独創的な大学経営に取り組み、多くの有望な人材が輩出されることを祈念しております。
山梨 展明
キャボットジャパン株式会社
代表取締役社長

山形大学在学生の皆様。開学75周年おめでとうございます。大学時代に悩んだこと、学んだこと、得られた経験はいまだに強く私の中で生きています。卒業後の今に至る成長より在学中の成長の方がだいぶ大きかったかな。75年と言われてもピンとこないかもしれませんが、75年の歴史で作られた文化に今育てられている皆様が、これから作っていく歴史が文化となって後輩を育てます。今は精いっぱい学んで悩んで、100年に向けて歴史をつなぎ、後輩が育つ強固な地盤を作りましょう。山大を卒業したことは今の私の誇りです。