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折に触れて

(11:2022年6月20日)

ゴミ収集のこと

 山形の一戸建ての家に引っ越して1年余りが過ぎた。マンション暮らしとはいろんな面で違いがあり、戸惑うことも多い。その一つがゴミに関することである。

 マンション住まいのときは、野菜くずなどの生ゴミはそのまま‘もやせるゴミ’の中に入れざるを得なかった。生ゴミであるからある程度の水を含むため、焼却には余分なエネルギーがかかってしまう。それが気になって、一戸建ての家に住んだらコンポストで堆肥化して有効利用を図るいっぽうで、もやせるゴミの削減と一石二鳥を考えていた。しかし、この間の試みは全くの失敗であった。土の上にただ単に生ゴミを置いたぐらいでは堆肥化には程遠かったのである。暖かくなって虫が湧くような状態になったので、連れ合いからは止めるようにとの進言があり、現在は行っていない。

 次はゴミ集積所の清掃に関する問題である。仙台のマンションは114戸からなる中規模のマンションで、住み込みの管理人さんがいた。ゴミの集積所も敷地内にあり、ゴミ袋の整理や、ペットボトルやカン、ガラス瓶などの整理はすべて管理人さんの仕事であった。また、資源である新聞紙や雑誌、雑紙、段ボールなどを回収するための物置もあり、その整理も同じであった。マンションの住人としては毎月管理費を払っているので、これらは当然のこととしてこのサービスを受けていた。

 山形では、ゴミ収集に関する管理は町内会の仕事となり、私の家にもゴミ集積所の清掃が割り当てられるようになった。私が住んでいる地区は、もやせるゴミの集積所と、ペットボトル、カン・ビン、プラスチックなどの集積所が別になっている。これら双方の集積所の清掃が、年に何回か当番として回ってくる。問題はペットボトル等の集積所の方である。

 毎回とは言わないが、結構な頻度で回収を拒否されるゴミ袋が出てしまうのである。それらの袋には、ゴミ出し違反を示す黄色いラベルが貼られている。町内会のルールではこのような場合、清掃当番の人がそれらの袋を回収し、その後適切に処理して出しなおすことが求められる。

 昨年秋に回ってきた最初の当番のときは、回収拒否となったビンやカンを入れた袋が2袋残っていた。中には封を切っていない焼き肉のたれのビンや、中身を使い切っていないビンが混じっていた。そこでそれらの袋を回収し、中身を捨てて洗浄するという手間のかかる処理となった。

 次に、最近回ってきた2回目の清掃当番である。今回も回収拒否にあった2つの袋が残っていた。今回はペットボトルを入れた袋である。ペットボトルのラベルとフタを外していないのでルール違反であるとのことで、回収が拒否されたのであった。これらのペットボトルの中には、ボトル内部をすすいでいないものも多かった。それでも先のビンの処理に比べればこちらの処理は簡単であったので、次のペットボトル回収日に出しなおすことができた。

 それにしても、飲み終わったペットボトルは軽くすすぎ、ラベルとフタを取り、それらはプラスチックゴミに、ペットボトルはペットボトルとしてまとめる、ということをどうしてできないのだろう、とても簡単なのに。

 さて、上記のように当番に当たった人が回収を拒否されたものを回収し、適切に処理した後に出しなおす、というやり方でいいのであろうか。私は、また同じことが繰り返されるのではないかと、危惧する。むしろ、放っておいた方がそのゴミを出した人が知ることになるのでいいのでは、と思うのであるが…。

 これを連れ合いに愚痴として言うのだが、即座に却下されている。集積所には町内会以外の人も出しているようなので効き目がないし、集積所にゴミ袋が貯まるだけで見栄えも悪く何も良いことはない、というのである。さてさて、どうしたものものか…。

 ところで、山形市のゴミ出しルールブック「保存版 ごみ減量・分別大百科」は、仙台市のものに比べ、相当厚い。山形市は親切な説明をしていると言えるのだが、仙台市のゴミ出しルールに比べ、山形市のゴミ出しルールはより細かな分別を要求しているようにも感じている。

 例えば、こんな例があった。缶詰を開けてフタを切りはなしたとする。仙台では切りはなしたフタは本体に入れてカンとして出せる。ところが山形では、本体はカンで、切りはなしたフタは‘雑貨品・小型廃家電類’として出さなければならない。これは作業する方の安全を考えてのことだろうと推測するのだが。私はこのルールを、偶然ルールブックから知った。

 「分別しなければ‘ゴミ’だが、分別すれば‘資源’」。これはまったくその通りであるので、可能な限り分別には協力したい。しかし、あまりにもあれこれと注意を払わなければいけないルールでは、気疲れしてしまうのではなかろうか。

 だいぶ前のことであるが、ある女流作家のエッセイが新聞に掲載された。この方は、住んでいた地域(関西のある都市)のゴミ出しルールがあまりにも厳しく、とても気疲れするので、ルールの緩やかな隣の県に引っ越したのだという。そこまでするかとも思うが、この方はその町が快適に生活できる環境ではないと判断したのだろう。

 焼却施設の性能や処理能力、埋め立て用地の広さなど、自治体(地域)が持つゴミ処理能力に大きな差があるので、自治体によってゴミの出し方が変わってくる。例えば、東京ではプラスチック類はもやせるゴミとして出すことができる。これは、焼却炉は最新鋭で高温燃焼ができるからだという。このような差は仕方のないことであるが、それでも可能な限り標準化することで、全国で同じ取り扱いのルールを目指すべきではないか。もっとも、そうするには予算が…、ということになりそうだが。

 それにしてもゴミの扱いはとても難しい!