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折に触れて

(27:2023年10月20日)

                                脳のこり、脳の汗

 がっさん通信「最近読んだ本から」の欄でも紹介したが、最近読んだ海原純子さんの『大人の生き方 大人の死に方』(毎日文庫、2023)に、「脳のこり」の話がでてくる(198~199ページ)。「『そんな時間』を大事にしたい」と題するエッセイである。以下、その中の連続した二つの節を引用する。文中の「そんな時間」とは、一見、無駄なように思える時間のことを指す。

 「私は『そんな時間』は人間すべてにとって必要なものではないかと思っている。体を例にとると、野球で肩だけを酷使すると肩の障害が起こる。パソコンで目を使い、座りっぱなしでいると眼精疲労から肩こりや腰痛を起こす。体は全身をストレッチし、バランスよく使うことでうまく機能するようにできている。

 脳や心も同じではないだろうか。医師として、書き手として使うのは脳のごく一部である。そこだけ使っていると肩こりと同じで脳のこりを生むと思う。思考が硬直化するのだ。歌やトークで使う脳は全く違う。脳や心の違う部分を活性化することで全体がバランスよく機能する。」

 海原さんは心療内科医で、クリニックを運営しているほか、ジャズシンガーでもある。時にはトークショーも行っている。医師としての活動以外の活動に対する批判めいた声もある中、海原さんはそのような活動は、心身のバランスをとるために本質的に必要なものだと主張する。

 このような考え方に私も全面的に賛同する。テレワークの日はもちろん別だが、自宅では仕事はしない主義であるし、休みの日は好きなことに時間を費やす。とは言っても、そのほとんどが活字と戯れている(寝っ転がって本を読んでいる)のであるが。

 海原さんの主張は、脳の中でも違う部分を使おう、という主張であるが、徹底的に脳を鍛えよう、と呼びかける主張もある。そんな記事を最近の新聞で見つけた。「脳が汗をかくような体験をしてもいいのでは」というものである。元NHK記者で、現在は東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院・特命教授、池上彰さんの主張である。池上さんは、毎週月曜日の日本経済新聞に「池上彰の大岡山通信 若者たちへ」と題するコラムを持っている。なお、大岡山とは、東工大の本部があるキャンパスの地名である。

 (2023年)9月25日(月)の大岡山通信(No.339)は、「大学の授業 理想は / コマ数減らし予習重視に」という見出しを持つものであった。この夏、池上さんが行った集中講義の話である。池上さんは、学生に12冊もの本を読ませる集中講義を行ったのだそうだ。集中講義のテーマは「科学技術と現代社会」である。受講者は抽選で決めた50名の学生。1日3コマの授業が4日間あり、毎回1冊の本が取り上げられる。授業はその本を読んでいることが前提となる。

 初日の授業には35名が出席した。15名は本を読み切れなかったのだろうと池上さんは推測する。しかし、出席していても本を読んでいない人もいることが分かり、「本は必ず読み、持参するように」と注意したという。その結果、翌日は25人に減ったという。

 この授業、受講者が減ったおかげで学生たちは発言の機会が増え、次第に活発な議論になった。池上さんは、米国の大学では大量の本を読ませる授業が行われているが、それは1週間の間にとる授業の数が少ないためだとする。一方、日本では多くの授業をとるので、学生に負担をかけられない状況にある。池上さんは日本も米国のように学生が取る授業数を少なくし、事前勉強をしっかりやるというやり方に変えることを提案する。この部分が、このコラムの見出しになった。そして、次のように続ける。

 「でも、たまには『脳が汗をかく』ような体験をしてもいいのではないでしょうか。」

 5日間の講義と筆記試験が終わった後の学生の顔は、達成感があふれていたという。そんな学生の顔を見て、池上さんもやりがいを感じたと振り返る。

 確かに日本の大学では、初年次に取る授業数がとても多く、したがって取得する単位も多い。どの大学でも学生たちには授業を精選して選び、一つ一つの授業をきちんとこなしてくださいとのメッセージを出していると思うが、なかなか伝わらない。私自身は、この状況からの脱却には、セメスター制(年2期制)からクォーター制(年4期制)への転換がキイとなるのではないかと考えている。つまり、同じ授業を物理的に1週間に2回行うスタイルである。クォーター制を導入するには、教員の協力が大前提であるが、セメスター制よりはメリットがあると考えている。

 たまには一つのことに集中して取り組んで「脳に汗をかかせ」、そして時には‘そんな時間’を作って「脳のこりをとる」、これ、いいですね!

 蛇足なのだが、脳という言葉ではないが、「思考」を用いた私のお気に入りの表現がある。塩野七生さんの代表的歴史エッセイ、「ローマ人の物語り」の第11巻(2002、新潮社)の82ページに現れる、「思考も筋肉と同じで、絶えざる鍛錬を必要とする」という表現である。絶えず厳しい思考をしないと、筋肉と同じように、思考も衰えてしまうのだ、と言い切ったこの表現。これ、いいですね!