ホーム > 大学紹介 > がっさん通信 > 最近読んだ本から_04

最近読んだ本から

<060>

 
著者

手嶋 龍一(てじま りゅういち:作家、外交ジャーナリスト、元NHKワシントン支局長)

著書

武漢コンフィデンシャル

出版社等

小学館、2022年8月1日、398ページ

一言紹介

2019年、中国・武漢から新たな感染症が世界中に広がった。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)である。武漢には世界三大感染症研究所の一つがあり、蝙蝠が介在する感染症研究に力を入れてきた。‘インテリジェンス’(諜報活動)分野に詳しい著者は、これを香港在住の広東料理店を経営する女性、マダム・クレアによる習近平北京政府打倒の物語りに仕立てた。マダム・クレアは、ある財団を介して研究所にコロナウイルスの感染力強化などの機能獲得のための研究に助成していた。そして、このウイルスを市中に拡散させることで・・・。しかし、この目論見は米国政府の上層部に入り込んだ中国の協力者により北京に伝えられ、マダム・クレアは拘束される。マダム・クレアの運命は如何に・・・。中国の歴史を背景に、米国諜報部員とマダム・クレアを接触させることで、壮大なインテリジェンス物語とした。世界情勢に詳しい著者ならではの小説であり、大いに楽しめた。
(2023年3月)

<059>

 
著者

角田 光代(かくた みつよ:作家)

著書

ゆうべの食卓

出版社等

オレンジページ、2023年3月1日、255ページ、月2回(2日、17日)刊『オレンジページ』(2020年7月2日号~2023年2月17日号)に掲載されたものに、新たな原稿を加え、再構成したもの

一言紹介

料理雑誌『オレンジページ』掲載の食事・食べ物に関する11の短編小説を収めた。11の作品とも、大きな出来事があるわけでもなく、淡々と時が流れる話。ほのぼのとした味わいで、心に残る。さて、角田さんは、毎回の短編創作は大変な作業だったと振り返る。「私はやっぱり、かぎられた食事ならば、まずくてもいい、好きな人とできるだけたくさん食卓を囲みたいなあと思う。おいしいより、たのしいが私にはまさるらしい」。コロナ禍前までは、「夕食の三分の一は外食、ひとりでもだれかとでも、とにかく外で飲むのが好きだった私にはかなり打撃で、パンデミックの一年目にして、料理嫌いになってしまったほどだ」(あとがき、253ページ)そうだ。そういえば、夫でミュージシャンの河野丈洋さんとのご機嫌なエッセイ集、『もう一杯だけ飲んで帰ろう』(新潮社、2017)があった。さぞかし角田さんにとって、このコロナ禍は地獄のような期間だったのだろう。
(2023年3月)

<058>

 
著者

内田 洋子(うちだ ようこ:イタリア在住のジャーナリスト、エッセイスト)

著書

イタリア暮らし

出版社等

集英社インターナショナル、2023年2月28日、252ページ、初出は、新潮社「Webでも考える人」、朝日新聞「それからどこへ」、瀬戸内人「せとうち暮らし」への連載エッセイと、日本経済新聞、朝日新聞、読売新聞へ掲載したエッセイを再構成したもの

一言紹介

東京外国語大学イタリア語学科を卒業し、単身イタリアにわたり、40年以上もの間、イタリアにおける時の話題を取材しては日本のメディアに提供してきた著者の最新エッセイ集。2016年から2022年の間に発表したエッセイであるが、大半は新型コロナウイルス感染症パンデミック発生後のもので、足止めを食らった日本で書いたもの。第1章「海の向こうで見つけたもの」に24編、第2章「独りにつき添うラジオ」に7編、第3章「思いもかけないヴェネツィアが」に34編の作品。コロナ禍で「私の暮らしから、よく知っていたはずのイタリアの色や音、匂いが消えていった」という。そしてこう続ける。「これまで現場で見聞きした今を伝えようとしてきた自分も、もう潮時なのだ」(あとがきに代えて、251~252ページ)と。もしかして、内田さんはイタリア生活を止めるのではないだろうか。それはとても残念な決断なのだが。
(2023年3月)

<057>

 
著者

荒木 一郎(あらき いちろう:シンガーソングライター、作家、俳優)

著書

空に星があるように 小説 荒木一郎

出版社等

小学館、2022年11月2日、526ページ

一言紹介

私の中での著者はシンガーソングライターである。俳優として活躍した著者をちっとも思い出せない。彼には表題の「空に星があるように」をはじめとし、多くの名曲がある。口先だけでぼそぼそと、呟くような歌い方は独特である。今でもCDで彼の歌をよく聞いている。さて本書は、10代後半から20代半ばまでの青春時代を振り返った‘小説’である。どこまでが真実で、どこからがフィクションかは私には分からない。母親は女優荒木道子さん。自宅には多くの芸能人や関係者が集まっていた。本人も、ラジオやテレビ、映画に出演し、そして歌手としても活動するが、いつも冷めていたようだ。そんな日々を淡々と描く。著者は、多芸・多趣味、とても才能豊かな人なのだろう。ところで、あるフレーズが印象に残った。「何を習うかではなく、誰にならうかが大事なのだ」(113ページ)。これは自分の経験に照らしても、まったくその通りだと思う。(2023年2月)

<056>

 
著者

横山 広美(よこやま ひろみ:東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構・副機構長・教授、物理学で博士号取得、現在の専門は科学技術社会論)

著書

なぜ理系に女性が少ないのか

出版社等

幻冬舎、幻冬舎新書674、2022年11月30日、234ページ

一言紹介

著者が研究代表者を務める科学技術振興機構(JST)・社会技術研究開発セター(RISTEX)の研究プログラム(横山プロジェクト)の研究成果をもとに論じたもの。本研究の目的は「日本の女性の理系進学を拒む壁を見つけ、社会変革につなげること」(226ページ)。研究グループは異なる機関に所属する6名で、男女半々ずつ、専門分野も異なる。著者たちは観念論に陥ることなく、自らが設計したアンケートの調査結果に基づいて考察する。小学生は男女とも理系科目が好きなのに対し、中学生になると女性の数学・物理学好きは男性に比べ著しく低くなる。中学校が分岐点。その背景は数学や物理学は男性向きというステレオタイプな見方にあり、それらは親も含む社会全体で作り上げたもの。本プロジェクトで初めて、広範に集めたデータを基に、他国とも比較できる議論が可能となった。プロジェクトは終了したが、まだまだ考察すべき点が残っており、今後の研究の進展に期待したい。
(2023年2月)

<055>

 
著者

篠田 謙一(しのだ けんいち:国立科学博物館・館長、専門は分子人類学)

著書

人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」

出版社等

中央公論新社、中公新書2683、2022年2月25日、294ページ

一言紹介

発掘された古代人の骨を用いた「古代ゲノム解析」は、ここ10年の間に急激に進展した。本書で読み解かれた現生人類(ホモ・サピエンス)の歴史が記述される。人類は、約6万年前、アフリカを出て世界各地へと進出する。約60万年前に分岐していた新人類デニソワ人やネアンデルタール人と共存・交雑しつつ、さらに北アジアや南アジアへと移動する。日本へは東アジアから移動し、狩猟民族の「縄文人」となる。その後、おおよそ3000年前、農耕民族が大陸から朝鮮半島を経て日本に渡り、「弥生人」となる。それにしてもゲノムは、何と雄弁に人類の歴史を語るのだろうか。著者は、ゲノム解析は考古学、歴史学、言語学にも大きな影響を与えるという。まだ進展の途中であるが、あと10年で何が分かってくるのだろうか、空恐ろしい気もする。この分野の研究者スバンテ・ペーボ博士(ドイツ)は、昨年ノーベル生理学医学賞を受賞した。
(2023年2月)

<054>

 
著者

古川 安(ふるかわ やす:日本大学生物資源学部・教授などを経て、現総合大学院大学客員研究員、専門は科学史・化学史)

著書

津田梅子 科学への道、大学の夢

出版社等

東京大学出版会、2022年1月19日、198ページ+索引12ページ

一言紹介

現津田塾大学の前身、女子英語塾設立した津田梅子(1864-1929)は、1871年、6歳の時に渡米する。梅子は10年の留学予定を1年延長し、1882年10月、大学教育を受けることなく帰国する。その後、華族女学校で英語を教えていたが、大学教育を受けたいと2度目の渡米を希望。再渡米は1889年7月、名門女子大のブリンマー大学に入学し、生物学を主専攻とする。2年の予定も1年延長し、この間、梅子は生物学の研究に励み、指導教員から大学院へ進むよう勧められるも、1892年8月に帰国する。1900年、梅子は女子英語塾を開く。1919年、梅子は体調を崩し、塾長を辞任。病気と闘う日々が続き、同年8月、54年の生涯を閉じる。名称を変えた津田英語塾に理科が増設されたのは1943年のことで、津田塾大学に改組されたのは1948年のことであった。これらは、当初梅子が望んだ道であり、夢であった。本書は、膨大な1次資料にあたってまとめた大変な労作。それにしても梅子の意志の強さに感服。
(2023年1月)

<053>

 
著者

中野 京子(なかの きょうこ:作家、ドイツ文学者)

著書

中野京子と読み解く フェルメールとオランダ黄金時代

出版社等

文藝春秋、2022年5月30日、238ページ、「オール読物」2021年2月号から2022年5月号掲載の<フェルメールとオランダ黄金時代>、および、2019年2月号掲載の<中野京子の運命の絵>に、書下ろし「女性たち」を加え、加筆、再編集したもの

一言紹介

1581年、オランダ(北部7州)はハプスブルグ家が統治する神聖ローマ帝国から独立する。1602年には東インド会社が設立され、17世紀はオランダの黄金時代となる。本書はこの間に描かれた40枚の名画を題材に、当時のオランダの文化や人々の生活を読み解く。都市、独立戦争、市民隊、必需品、女性たちなど15のテーマが選ばれる。40作品中8作品がフェルメールで、他にレンブラント、ルーベンス、ステーン、ロイスダーレなどの作品が取り上げられる。解説されれば、なるほどなるほどと、納得。ヨハン・ゲオルク・ヴィレによる、娼館での客と娼婦と女将のやり取りの絵が、後に「父の訓戒」と名付けられたのには苦笑してしまった(悪場所、170‐184ページ)。ところで、この本でいい言葉を知った。宗教革命を成し遂げたルターの言葉に、「酒と女と歌を愛さぬ者は、一生阿呆のまま」というのがあるのだそうだ(78ページ)、いいですね。
(2023年1月)

<052>

 
著者

平尾 昌弘(ひらお まさひろ:立命館大学、佛教大学などの講師、専門は哲学、倫理学)

著書

日本語からの哲学 なぜ<です・ます>で論文を書いてはならないのか?

出版社等

晶文社、犀の教室シリーズ、2022年9月30日、310ページ

一言紹介

著者はある学会誌からの依頼原稿を「です・ます体」で書いたところ、掲載を拒否される。これが契機となり本書が生まれた。「です・ます体」と「だ/である体」を対比的に取り上げ、その背景となる世界を考察する。著者の結論は、「だ/である体」は一人称と三人称の世界であるのに対し、「です・ます体」は一人称と二人称の世界だという。したがって、科学論文とは、研究対象(三人称)に迫り記述するものであるので、「です・ます体」より、「だ/である体」が相応しいと考えられているのではないかと推論する。なに、訳が分からないですって。議論の詳細はどうぞ本書を手に取ってください。それにしても哲学とは、ああでもないこうでもない、そうでもないどうでもないと、多角的・多面的に粘り強く本質に迫ろうとする学問であることか。本書で哲学の方法論を味わえると断言するのは、ちと大げさだろうか。
(2023年1月)

<051>

 
著者

塩野 七生(しおの ななみ:作家、歴史エッセイスト)

著書

誰が国家を殺すのか 日本人へⅤ

出版社等

文藝春秋社、文春新書1386、2022年11月20日、305ページ、初出は、月刊文藝春秋2017年10月号から2018年1月号、2018年3月号から2021年10月号、2022年1月号

一言紹介

「日本人へ」シリーズの第5巻で、49編のエッセイを収録。政治やコロナ感染症、そして自分の骨折治療のことなど、その時々の話題を幅広く取り上げる。著者の本質を突く簡潔で鋭い表現にはいつも唸ってしまう。本書カバーにも幾つか示されているが、この欄でも幾つかを。「ITを駆使して得られるのは『知識』だけ」(109ページ)。「狂信とホノモノの信仰のちがいはもう少し注目されてしかるべきと思う。宗教上の問題というより、信仰をともにしない人々まで加えた人類全体の平和な共生のためにも」(111ページ)。「多神教と一神教の違いは神の『数』にあるのではない。信徒が神に求める『存在理由』にある」(154ページ)など。2018年11月、塩野さんは東北を訪れた(本書「東北再訪」と「『廃炉』のプロを目指して」参照)。塩野さんが東北大を訪問した日、退職した私も招待され、当時の執行部3名と新潮社の担当者ら計6名で、夕食をご一緒し会話を楽しんだ。
(2022年12月)

<050>

 
著者

鳴海 風(なるみ ふう:東北大学工学部出身で元デンソーの技術者、江戸時代の和算にまつわる時代小説を執筆。その功績で2006年に日本数学会出版賞を受賞。)

著書

鬼女(おにおんな)

出版社等

早川書房、2022年9月25日、451ページ

一言紹介

時代は大きく動こうとしている江戸末期の会津藩組頭、木本家の物語り。母利代は姑多江の意向もあり、その子駿を立派な会津武士として育てようとする。しかし、駿は天文学と数学に興味があり、その才能を発揮していた。しかし、母からの強い望みもあって駿は、文武両道を実践することに。会津藩主松平容保は、京都守護職に就くも、大政奉還後、立場は一転し新政府に盾突く存在に。新政府軍は次第に会津に近づく。戊辰戦争である。そのような中、駿は白虎隊に入る。官軍が会津にいよいよ近づく中で、駿は戦場に赴き、戦闘のさなか命を失ってしまう。表題の鬼女とは、自らの保身のために娘を殺めてしまうという母親(鬼女)の伝説。利江は自分自身のために、結果として息子駿を殺めてしまったのだろうか。時代の転換期や戦争では、多くの悲劇が存在することを暗示する。ロシアによるウクライナ侵攻でも多くの悲劇が生まれているに違いない。
(2022年12月)

<049>

 
著者

横道 誠(よこみち まこと:京都府立大学文学部・准教授、専門は文学、当事者研究)

著書

ある大学教員の日常と非日常 障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻

出版社等

晶文社、2022年10月15日、261ページ

一言紹介

自閉スペクトラム症(ASD)と注意欠如・多動症(ADHD)と診断されている著者は、2021年10月から半年間のサバティカル(何の義務もない長期休暇)に入る。その間、ドイツの研究者が受け入れてくれることになり、出国しようとするが、出国審査時にパスポートが無効だと分かり、出国は叶わなかった。1か月半後に再チャレンジで出国する。著者は、「障害があるということは、普段から被災して生きているようなものだ」と、そして「障害者とは日常的な被災者」であり、「日常に非日常が混入し、非日常に日常が混入する時空を」生きているのだという(はじめに)。本書で著者は、「出国するために苦闘するさまを、出国に失敗してしまうさまを、(略)障害者モードを発揮して非日常的な日常を、(略)コロナ禍とウクライナ侵攻の状況をやりすごして、日本へ帰国するさまを」(おわりに)描いたのだという。世界と自分との関係を見つめて書いた書である。
(2022年12月)

<048>

 
著者

西條 奈加(さいじょう なか:作家)

著書

六つの村を越えて髭をなびかせる者

出版社等

PHP研究所、2022年1月25日、361ページ、月刊文庫『文蔵』2019年3月号~2020年10月号の連載に、加筆修正したもの

一言紹介

出羽の国楯岡村(山形県村山市)の元吉は、父親の死後江戸に出て、本田利明主宰の音羽塾で学問を修めることに。元吉とは、後の最上徳内(1755-1836)。学問に秀でた徳内は、ロシア艦隊が南下するというアイヌの地、蝦夷を調査する「蝦夷地見分隊」に竿取りという下役として参加することに。徳内は蝦夷でアイヌと積極的に交流し、見分隊一のアイヌ語の使い手となる。最初の探検は犠牲を出しつつも終える。江戸では十代将軍家治が亡くなり、隊を派遣した老中田沼意次が失脚する。実権を握った松平定信は蝦夷地の探索を全面的に否定。ところが、蝦夷からはクナシリアイヌの蜂起の知らせが入り、徳内は再び蝦夷へ向かう。生涯で9回も蝦夷に赴いたという徳内の最初の2回の蝦夷行きを、ほぼ史実に基づいて描写した。表題は、アイヌの謎かけ「イワン コタン カマ レキヒ スイェㇷ゚ ヘマンタ ネ ヤー」(六つの村を越えて、髭をなびかせえる者)からで、徳内のこと。
(2022年11月)

<047>

 
著者

牟田 都子(むた さとこ:図書館に勤務の後、出版社の校閲部を経て、現在は個人で校正を引き受けている)

著書

文にあたる

出版社等

亜紀書房、2022年8月30日、255ページ

一言紹介

本が出版されるまでの工程の一つに、校正(または校閲)があることは知っていたが、こんなにも奥が深い仕事だとは。本書を読んで、目から鱗が落ちた。誤字、脱字、衍字(えんじ:語句の中に間違って入った字)などの指摘はもちろん、記載の内容に誤りがないのかをチェックするのも校正の重要な仕事。業界用語で、誤りを見つけることは「拾う」で、見逃してしまうことは「落とす」というのだそうだ。いくら見ても落としがあると、落ち込むとのこと。原稿には、明らかな誤りは赤字で、著者に問い合わせたり、別の表現を提案したりするときは鉛筆書きで記す。鉛筆書きが採用されるかどうかは、執筆者の考え次第。ところで、校正がこんなに大事な工程なら、奥付に装丁者の名前があるように、校正者の名前も明記されてもよさそうであるが、残念ながら通常は記されない。ともあれ、本好きのあなたに、これは最高のお薦め本、ぜひ手に取ってみてください。
(2022年11月)

<046>

 
著者

坂野 徹(さかの とおる:日本大学経済学部・教授、専門は科学史・人類学史・生物学史)

著書

縄文人と弥生人 「日本人の起源」論争

出版社等

中央公論社、中公新書2709、2022年7月25日、301ページ

一言紹介

日本にとどまらず、世界中で縄文ブームだという。「北海道・北東北の縄文遺跡群」がユネスコ文化遺産への登録も決まった。本書の表題はミスリーディングで、副題が内容を端的に表している。本書の目的は、(明治以降の)「日本人起源論の思想的流れと政治・社会の関係について考えること」(はじめに)。結論として、「人類学者、考古学者による縄文(人)や弥生(人)をめぐる研究が同時代の社会・政治の状況や価値観に大きく左右される姿であった」(272ページ)。「人種交替」「人種連続」「縄文/弥生人」の3モデルの変遷であったが、戦前は多くの研究者が皇国史観と整合的な主張として、人種連続説を取った。西田幾多郎までもが、「我国家の成立史において見るに、異種族異民族の闘争征服という如きことなく、それらが天孫族の下に統一融合して一民族を渾成するに至った」(180ページ)と言いだす始末。学問が時の社会情勢に左右される姿が炙りだされる。
(2022年11月)