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キャンパスから
(No. 18:2023年1月10日)
加藤セチ博士顕彰シンポジウム
先月(2022年12月)の26日(月)、小白川キャンパスで本学ダイバーシティ推進室主催のシンポジウムが開催された。副題は標記「加藤セチ博士顕彰シンポジウム」である。第一部は、昨年5~6月に、山形新聞「やまがた 再発見」の欄に、加藤セチの生涯を3回にわたり連載した、山形県産業科学館館長の宮野悦夫先生による「加藤セチの生涯と功績」と題する基調講演。続く第二部は、4名の女性パネリストによるパネルディスカッションで、ダイバーシティ推進室長の大森桂副学長がコーディネーターを務めた。
加藤セチ博士(以下、セチと表記)については、がっさん通信「折に触れて」のNo.12、「山形女子師範学校時代の加藤セチは?」(2022年7月20日)を参考にされたい。ごく簡単に紹介すると、セチは1893年本県三川町の生まれ、山形県女子師範学校(現本学地域教育文化学部)、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)、北海道帝国大学(現北海道大学:北大)で学び、理化学研究所(理研)に入所し、研究員、主任研究員を務めた。北大最初の女子学生であり、理研でも初の女性研究員であり、主任研究員であった。また、セチは日本では3人目の女性理学博士であり、夫と子供を持つ、すなわち家庭を持つ女性では第一号であった。セチは「女性科学者のパイオニア」などと称される。三川町はセチの功績を称え、第一号となる名誉町民の称号を1968年に授与した。また、理研では、2018年から若手女性研究者に自由な発想で研究に打ち込める環境を与える「加藤セチプログラム」を開始している。
宮野先生の基調講演は、セチの生涯を4期に分けて解説したもので、私は多くのことをこの講演から学ぶことができた。宮野先生は講演を、「科学者として、人間として、女性として、三位一体として生きた加藤セチのメッセージを受け止め、子供たちに伝えていくべきである」と結んだ。まったく同感である。参加された120名の参加者も、宮野先生の講演のこの結びに納得したのではなかろうか。
第二部のパネルディスカッションに参加された4名の方は、本学地域教育文化学部を卒業後、山形市内の小学校で教鞭をとられている渡邊史子先生、県立山形西高等学校(西高)出身で、大学で生物学を学び博士号取得後、ポスドク(博士研究員)を経て本学理学部に着任された河合寿子准教授、本学農学研究科修士課程2年で、現在ドイツ・ハノーバー大学に留学中の長谷川水輝さん、そして西高2年の近藤果音さんである。それぞれの方からご自分が歩んできた道を、その時々の決意・決断、困難さや苦労を交えて紹介してくださった。必ずしも順調ではなかったと思うのだが、皆さんがそれらを‘明るく振り返っている’ことに感銘を受けた。近藤さんは本学理学部の‘リケジョプロジェクト’に参加する中から、「根本的な論理性などを学べる理系」への進学を考えており、最終的に研究者を目指したいという。この近藤さん、西高の中で立候補してこのシンポジウムのパネリストとなったのだという。その積極性、なんと頼もしいことか。
本シンポジウムは大成功だったのではなかろうか。シンポジウムを企画し、運営してくださった皆さんに感謝したい。そして、第2弾、第3弾のシンポジウムにも大いに期待したい。