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キャンパスから

(No. 03:2021年11月10日)

旧制山形高等学校の新制大学移行について

 先月(2021年10月)16日(土)の午後、オンラインで「ティーデマン・ふすま賞」の受賞講演会が開催された。今年度は3名が受賞されたが、その中のお一人、豊田龍平さんの受賞論文名が「新制国立大学山形大学の創設過程」とあったので、本学の創立時の状況に興味を持っている私は、豊田さんの受賞記念講演をワクワクしながら聞かせていただいた。

 初めに「ティーデマン・ふすま賞」のことである。この賞は、本学同窓会組織の一つである「ふすま同窓会」が授与している。学生の学術研究の奨励を目的とする賞で、優秀な公募論文に授与される。旧制山形高等学校(以下、山高)時代の1921年から1931年まで、ドイツ語担当のドイツ人教師であったハンス・ティーデマン(Hans Tiedemann)先生を記念する賞である(ふすま同窓会の同賞のURLを末尾に記載)。1959(昭和34)年に教職員有志により「ティーデマン委員会」が設立され、「ティーデマン賞」として授与したことに始まる。一時中断したものの、1987(昭和62)年からはふすま同窓会がこの懸賞事業を引き継ぎ、名称を変更して現在に至っている。今年度は53回目の授与となる。

 受賞講演会では、私の都合でお二人の受賞者の講演しか聞けなかったが、お二人の研究とも大変内容が濃く、多くのことを学ぶことができた。

 豊田さんの研究は、新しく発見された「山形高等学校大学昇格期成同盟会日誌(並大学関係同窓会日誌)」への考察を基に、本学の創立過程を丹念に追ったものである。発見されたこの文書は、豊田さんが既に本学紀要に印刷している(末尾に文献を示す)。以下の節は、豊田さんの研究のあらましである。

 戦後学制改革が行われるにあたり、山高は当初単独で文理科大学への昇格を望んでいた。その後、高橋里美校長による方針変換があり、東北大学へ包摂されることを企図した。すなわち、「ジュニアカレッジ」化であり、帝国大学進学に向けた予備的な教育の場が旧制高校であるとする立場を維持しつつ、戦後日本の教育に求められた新たな役割の一つである教養教育の主要な担い手として期待するものであった。本学五十年誌によれば、旧制弘前高等学校(弘高)も同じように希望していた。しかしながら、その後、東北大学が山高や弘高を包摂することを断念する。これには、GHQ-CIE(民間情報教育局)の意向が働いていた。結局山高は、‘一県一大学’の原則通り、米沢工業専門学校、山形師範学校、山形青年師範学校、そして山形県立農林専門学校とともに、新制山形大学に移行することになった。

 この激動の嵐の中で、重要な役割を担った(担わされた)のが、上記高橋里美(故人、1886~1964、哲学者)である。山高第8代校長(1947.10~1948.7)であり、東北大学第9代総長(1949.4~1957.6)でもある。当時の高橋は、山高と東北大学とを兼務しており、山高のジュニアカレッジ化を推進した。高橋は就任から1年も経たずして山高の校長職を離れるが、これにはその構想に反対する文部省の意向が強く働いたように私には思える。

 山形大学の創立過程には、波乱万丈の物語があったのである。

【ふすま同窓会「ティーデマン・ふすま賞」のURL】
http://www4.plala.or.jp/fusuma/aboutus/tiedemann.html

【参考文献】
豊田龍平, 2020:山形高等学校大学昇格期成同盟会日誌(並大学関係同窓会日誌). 山形大学歴史・地理・人類学論集, 21, 67-94.