はばたくひと #02

平山敦士

指導でも診療でも
フェイスtoフェイスを重視。

2017.10.06

指導でも診療でもフェイスtoフェイスを重視。

 東京都出身の平山敦士さんが初めて山形を訪れたのは受験の時。厳しい冬景色に不安を覚えたものの、気がつけば卒業後もずっと大学病院に残り、専門分野の研究や医学生の指導、県内医療機関での診療等に取り組んでいる。子どもの頃から憧れ、尊敬していた医師になるべく医学部を目指すことにした平山さんは、国家試験の合格率の伸びなどに注目し、山形大学を志願した。その決断が、後のさまざまな出会いや経験につながり、平山さんを山形に留まらせている。

 大学時代の平山さんは、医学生としてのハードな勉強だけでなく、学内外で多彩な経験を積み、視野を広げることを心掛けた。友人とハンドボール部を創設したり、新聞部で医学部医学科同窓会新聞『蔵王』の編集全般を取り仕切ったり、米国内科学会日本支部のスチューデントメンバーとして英語での症例検討会に参加したりと、敢えて自分に負荷をかけて、やらざるを得ない状況をつくってきた。ハンドボール部顧問であり、第一内科教授の久保田功先生は、学業面での恩師でもあり、平山さんの専門を決定づけた先生でもある。また、全国に先駆けて導入されたスチューデントドクター制度の第1期生でもある平山さんは、ずっと医師と患者間の信頼関係について関心が高かったこともあり、充実した臨床実習は非常に有意義だったと振り返る。

社会医学・医療学(公衆衛生)の担当教員として講義を行う平山先生。

社会医学・医療学(公衆衛生)の担当教員として講義を行う平山先生。学生たちの興味を喚起しつつポイントを熱弁中。

 「大学のカリキュラムに満足してしまわず、自分でアンテナを広げて学内外のさまざまなチャンスをキャッチし、挑戦して人間性を豊かにしていってほしい」と語る平山さんの次なる目標は、アメリカへの海外留学だ。活躍の場を広げる先輩から今後も目が離せない。

平山さんにとっての
山形大学とは?

基盤

ひらやまあつし

ひらやまあつし●東京都出身。卒業後、臨床医として循環器内科学、救急医学を専攻。2014年救急医学講座助教、翌年より公衆衛生学講座助教。大学病院救急部での当直業務のほか、山形県内の医療機関で診療を担当。

※内容や所属等は2016年当時のものです。

みどり樹

この内容は
山形大学広報誌「みどり樹」
Vol.67(2016年3月発行)にも
掲載されています。

[PDF/7.78MB]

「みどり樹」一覧はこちら

他の記事も読む