はばたくひと #19

渡邉健太

海外に出て気づく日本の魅力、
藍に魅せられ、藍染めの世界へ。

2021.01.30

海外に出て気づく日本の魅力、藍に魅せられ、藍染めの世界へ。

現在、徳島県で藍染め職人として活躍する渡邉健太さん。かつては海外志向が強く、大学時代には1年間休学してカナダに留学したほど。海外経験や旺盛な好奇心が活かせる仕事として物流商社に就職するも、藍染め体験をきっかけに、藍染め職人を目指す。原料の蓼藍の栽培から染色、製作までを一貫して行う藍染ブランド「Watanabe’s」を立ち上げて、展開している。洗うほどに美しさを増す藍色の魅力の普及に努めている。

藍染体験の3日後に会社を退職。
興味の赴くままに即行動。

 高校時代は野球部で部活三昧。地元山形のことをもっと知りたい、海外に行くために実家暮らしでお金を貯めよう、と進学先に本学を選んだ。国際関係や異文化交流に興味があった渡邉さんの専攻は、人文学部総合政策学科の国際システムコース(当時)。もちろん勉強も頑張ってはいたが、思い出話として飛び出すのは、夏は釣り、冬はスノーボード、そしてアルバイト先の居酒屋で知り合った人々との交友録などなど。大学時代を謳歌する渡邉さんの姿が目に浮かぶ。学内で仲良くなったカナダ人留学生から情報をもらい、1年間休学してカナダ留学も敢行。英語力を身につけ、異文化を吸収するはずが、逆に現地の人々が日本に興味津々で、日本のことをいろいろ聞かれても、歴史も文化も何も知らない自分に気づかされたという。
 卒業後、会社員として東京で働いていた渡邉さんは、洋服やデニムへの興味からたまたま藍染体験に参加した。このたった一度の体験で藍染の魅力に心酔し、「藍染め職人になりたい」と3日後には会社に退職届を提出したというから驚く。渡邉さんの熱い思いが届いたのか、幸運にもちょうどその時期に、阿波藍の産地として知られる徳島県上板町が地域おこし協力隊の募集を始めたのだ。迷わず応募し、2012年に協力隊として着任した。

渾身の藍色の染料が4槽

工房には渡邉さんが2年間かけて到達した、渾身の藍色の染料が4槽。蒅(すくも)から作った染料の入った槽に生地を浸けて、絞るようにして液を揉み込ませていく。

一度手にした成功を捨て再始動、
全工程に自ら関わる姿勢を貫く。

 徳島県上板町は、江戸時代から阿波藍の生産が盛んだった町。特産品による地域おこしを目的とし、藍に特化した協力隊の募集だったため、渡邉さんは町の臨時職員として藍染の体験施設で修行をし、藍師や藍農家でも学ばせてもらうことができた。着任直後から協力隊の仲間と藍染ブランド「BUAISOU」を立ち上げ、循環型社会に配慮した製品、持続可能な社会を目指す時流にものって、最初に海外で注目された後、逆輸入的に日本での仕事も増えていった。順風満帆に見えた藍染人生だったが、渡邉さんは2018年に自ら立ち上げたブランドを離れ、一人で再び一から藍染工房を立ち上げる道を選んだ。原料の蓼藍(たであい)畑の堆肥づくり、土づくり、育苗、栽培、染料となる蒅(すくも)作りから染めまで、全工程を一貫して行うことで、商品のすべてに責任を持つということにこだわりたかった。
 一からの再始動は口で言うほど簡単ではなかったが、かつて藍作りを教えてくれた師匠や藍農家、町の皆さんから「もう1回やってほしい」と声をかけてもらい、農家さんが農地探しを手伝ってくれるなど、たくさんの人々の縁に助けられて今がある。大学時代もそうだったように、渡邉さんには応援を引き寄せる力があるようだ。そのまっすぐな人柄、大胆な行動力の成せる技かもしれない。

60アールほどの広さの蓼藍畑

60アールほどの広さの蓼藍畑。青々とした藍の葉が蒅の原料となる。堆肥や土づくりにこだわり、4月に植え付けた苗は2ヵ月ほどで刈り取りの季節を迎える。

は6月から9月にかけて。真夏の本当に暑い時期で汗だくになりながらの大変な作業。刈り取

蓼藍の刈り取り作業は6月から9月にかけて。真夏の本当に暑い時期で汗だくになりながらの大変な作業。刈り取られた蓼藍は、蒅の原料となる葉の部分と茎に分けられる。

蓼藍の葉の部分を天日干しにして乾燥させたもの

蓼藍の葉の部分を天日干しにして乾燥させたもの。寝床と呼ばれる土間の上で水を打ち、かき混ぜ、発酵させて蒅を作る。この緑色からやがて深みのある藍色が生まれる。

蒅を作るために発酵させている段階

蒅を作るために発酵させている段階。筵の中の葉の温度、室温や湿度を測り、発酵の状態を管理している。120日くらいかかるこの工程で元々は薄い色を濃縮させていく。

伝統を守り伝える、新しい方法で
人々の生活に届けたい納得の藍。

 春夏は蓼藍の栽培から刈り取りなどの農家仕事、秋冬は蒅づくりに取り組むのが渡邉さんの一年のサイクルで、藍染めの作業は一年中行っている。2年を費やし、試行錯誤の末、納得のできる藍染液4種類のレシピに辿り着いた。最初はひとりでスタートした工房も、現在では地域おこし協力隊のメンバーや藍染を学びたいという若き芸術家など、4人のスタッフを指導しながら協働している。藍染ブランド「Watanabe’s」を立ち上げ、着実に藍染の普及、ファン拡大という点で成果を上げている。「藍は洗えば洗うほど美しくなる色。伝統工芸や美術品としてではなく、ちゃんと着て洗って、また着て楽しんでほしい」と、藍が人々の生活に馴染んでいくようなものづくりを目指している。
 阿波藍の伝統を守りつつも、新たな機軸で藍を伝えるべく、国内外で幅広く活動を行っていきたいと展望を語る渡邉さん。地元・山形と徳島は遠く離れてはいるが、故郷への思いと友人との繋がりが残っているので、心の距離は至って近い。渡邉さんの手にかかれば、徳島の藍と山形の紅花のコラボレーションでまた何か面白いことができそうだ。「仕事が趣味と言えるぐらい、仕事の中で新しいことに挑戦することが楽しい」と充実感あふれる渡邉さんに倣って、大学時代は友達をたくさんつくり、何事にも果敢に挑戦することが、将来の豊かな人生につながっていくにちがいない。

Watanabe’sのwebサイトに掲載されている商品

Watanabe’sのwebサイトに掲載されている商品。洗えば洗うほど色が綺麗になる藍色は、天然原料の藍染ならでは。飽きない、色褪せない、生活に馴染んで愛着と風合いが増していく。

わたなべけんた

わたなべけんた●山形県出身。2010年人文学部卒業。藍師、染師で藍染めブランド「Watanabe’s」代表。蓼藍の栽培から蒅作り、藍染、製作までを一貫して責任生産。美しい藍色を伝統工芸としてではなく、暮らしに広めることを目指す。

※内容や所属等は2020年12月当時のものです。

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