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折に触れて

(31:2024年2月20日)

                               

医学部大学祭について

 本学小白川図書館3階の大学誌や部局誌、同窓会誌など本学が関係する本を集めた書棚で、「山形大学医学部創設十周年記念誌」(以下、十周年誌)と「山形大学医学部創設二十周年記念誌」(二十周年誌)を見つけた。これを手に取ったところ、十周年誌に医学部大学祭の記載を見つけたので、この欄で紹介したい。なお、二十周年記念誌には大学祭についての記載は一切無かった。

 十周年誌には、医学部創設の経緯や10年の歩み、講座と診療科等の紹介の後、「学内外の活動」の項目がある。この中の小項目「Ⅱ 学生の課外活動」の中に「3.医学祭」の記載があった(114ページ)。著者は高橋慶一さんである。高橋さんは医学部第6期生(1984(昭和59)年卒)で、記念誌が準備された1983年当時、学部6年生であった。分量は1ページに満もたないものであるので、ここに全文を原文のママに引用する。なお、インターネットで調べてみると、著者の高橋慶一さんは現在、東京都内の大きな病院の副院長としてお務めであることが分かった。


3.医学祭

山形大学医学部も、今年で開学10周年を迎えたわけですが、医学祭の歴史は浅く今回で3回を数えるにすぎません。

第1回医学祭は、小白川の医進課程に5期生を数える1977年に開催されましたが、全くゼロからの出発ということで、期待と不安が交錯した中で開催されたようであります。諸先輩方の御苦労は並々ならぬものであったことでしょう。

また、その3年後の第2回医学祭は、参加ゼミが30を超える盛大なもので、多数の方々に見学していただけました。そし、第3回医学祭では、諸先輩方の築いて下さった伝統を維持すると共に、過去2回における貴重な経験・御意見・反省点を参考にし、運営・企画の面で改善することに心掛けました。第3回医学祭における特色としては、これまでのゼミ発表に加えて、医学部・医学生の生活を一般市民の方々にも紹介し、また、「祭り」の要素を出す目的で、模擬店を出店し、さらに、活発化してきたサークル活動の発表の場を設けることでした。


第3回医学祭を終え、医学祭は現在一つの転換期を迎えたと言ってよいでしょう。医者の卵としての医学生が、一般市民の方々と医学・医療に関して接点を持つことのできる1つの場としての医学祭を発展させていくも、消滅させてしまうも、後輩諸君の手にかかっています。医学祭発表だけのゼミ活動ではなく、ゼミを言わばサークル活動と同じようなものとし、個々のゼミで、独自に公開講座・講演会・各種調査等を企画し、一般市民の方々との交流の機会を多く持ち、また、これまでの医学祭よりも小規模な形でのゼミ発表会を定期的に行ない、その締め括りとして、医学祭を位置付けられれば、医学祭と市民の方々とはより一層密着することとなり、さらに山形大学医学部と一般市民の方々とが一体化することにつながると思います。医学祭のこれからの発展を祈ってペンを置くことにします。                      

                                              (高橋慶一)

  この記事により、医学部大学祭は3年おきに、1977年に第1回、1980年に第2回、1983年に第3回が開催されたことが分かった。それでは、1986年の医学祭はどうだったであろうか。

 そこで、医学部第14期生(1992(平成4)年卒業)の本学保健管理センター所長の牧野直彦先生に大学祭の有無を問い合わせた。牧野先生の回答は、入学した1986(昭和61年)年に大学祭が行われていたとの記憶がある。しかし、バンド演奏がうるさいとの近隣からの苦情で翌年からは開催されなくなったと思う、とのことだった。そして正確を期すため、同級生にも問い合わせてくれるという。しばらく後、次のようなメールをくださった。

 「医学部の同級生(山大第二外科 塩野准教授)に確認しました。『1年次の1986年には医学部生協奥で行った記憶がある。翌年にもこれに準じた催しがあったかもしれないが、記憶が曖昧。1学年上の実行委員長が変わった人で、これ以降の学園祭開催が頓挫した記憶がある。』との見解でした。1986年には私の記憶と合わせて開催されていると思います。」

 以上の事より、医学部大学祭は、1977年を第1回とし、1986年まで3年おきに4回行われたことが確認できた。さらにその後であるが、既に昨年9月の「キャンパスから」(No.26)で記したように、1986年から24年後の2010年に「希華祭」の名称で一度だけ復活した。しかし、その後は開催されていない。なお、希華祭を報じた朝日新聞2010年10月9日の記事は、過去の大学祭の開催を5~6回としていたが、より正確には4回の開催であった。

 この欄「キャンパスから」No.25 の「医学部大学祭の復活について」に記したように、医学部の学生にとっては医学部大学祭の復活は念願のようである。これを叶えるためには、2010年に希華祭を実現させたように、学生自らが動く必要がある。動けば、希望の光も必ずや見えてくるものだと確信したい。医学部学生の皆さん、医学部大学祭復活に向けて、皆さん方から行動を起こしてください。夢はきっと叶えられます。


【参考文献】
山形大学医学部創設十周年記念誌編集委員会、1983:山形大学医学部創設十周年記念誌。昭和58年9月24日発行、185ページ。非売品。
山形大学医学部創設二十周年記念誌編集委員会、1993:山形大学医学部創設二十周年記念誌。平成5年11月6日発行、375ページ。非売品。

【医学部大学祭について記載したがっさん通信「キャンパスから」の記事】
24.医学部大学祭の復活について(2023年8月9日)
https://www.yamagata-u.ac.jp/jp/university/column/campus_25/
25.2010年開催医学部「希華祭」の新聞記事について(2023年9月8日)
https://www.yamagata-u.ac.jp/jp/university/column/campus_26/