はばたくひと ♯33
大石 唯
陸上選手と市役所職員の “二刀流”。
30代最後に長年の努力が花開く。
2025.04.15
はばたくひと ♯33
大石 唯
2025.04.15
学生時代に学業と両立して陸上に力を注いできた大石唯さんは、山形市職員として働きながら、現在も競技を続ける公務員ランナー。2024年に開催された「第45回全日本マスターズ陸上競技選手権大会2024京都大会」では、35〜39歳を対象にしたM35クラスの100mと200mで見事2冠を達成した。40代を迎えた2025年は新たなM40クラスに挑戦する。2児の父親でもあり、仕事や育児と並行して、さらなる高みを目指す。
2024年12月に40歳になった。学生時代から続けている陸上競技はこれまでの試行錯誤が実を結び、近年各種大会で実績を残している。
39歳で出場した2024年9月開催の「第45回全日本マスターズ陸上競技選手権大会2024京都大会」は、M35クラス(35〜39歳)の100mで10秒63、200mが22秒49を記録し、2冠を達成。短距離走種目の中でも100mは「自分なりの工夫が結果に出やすい距離」と得意としている。
同年8月の「東北マスターズ陸上競技選手権大会」では、M35クラスの60mで6秒84という日本記録をたたき出した。「M35クラスで出場できる最後の大会で日本記録を出せて良かったです」と喜ぶ。
さらに、2023年11月にフィリピンで行われた国際大会「アジアマスターズ陸上競技選手権大会」では100m、200m、4×100mリレー、4×400mリレーの4冠を成し遂げた。
2023年の「アジアマスターズ陸上競技選手権大会」に日本代表として出場した大石さん(中央)。「38歳、39歳は自分の中で調子が良かった時期」と好成績を残した近年の大会を振り返る。(写真提供/NMSAAP)
現在、大石さんは、山形市企画調整部男女共同参画センターに勤務している。幼い娘2人の父親で夫婦共働きのため、家事や子育ては分担。出勤前に子どもの朝食と、自分の昼食を作るのが日課だ。陸上で良いパフォーマンスをするために「体重のコントロールが最も大変」と、平日の昼食はほぼ同じメニューを食べている。鶏のささみ、ゆで卵、ゆでたブロッコリー、おにぎりなどを詰めた「筋肉弁当です」と紹介する。
練習は多くて週4日。勤務終了後や子どもを寝かしつけた後の夜10時から深夜0時までの約2時間、公園で走ったり、ジムでトレーニングしたりしている。週末は子どもの昼寝中に、近所の競技場などを走る。
「学生時代に比べて今は練習時間を半分も確保できません。これまで試してきた練習方法から取捨選択し、量より質を重視しています。ここ1〜2年はできるだけ多く試合にエントリーして実戦に備えました。例年は2カ月に1回のペースで参加していた大会に、1カ月に1回のペースで出場できたことは大きかったです」と、いつもサポートをしてくれる妻に感謝する。
現在の仕事はデスクワークが中心。大石さんは男女が尊重し合い活躍できる社会づくりのために幅広い業務に取り組んでいる。自身の陸上経験を踏まえ、講演の講師を務めたこともある。
陸上競技との出合いは中学2年生の時。転校先で仲が良くなった友達に誘われ、陸上部に入部した。
陸上競技は走り高跳びや砲丸投げなどさまざまな種目があるが、大石さんは短距離走選手になり、中学3年生の県大会では200mで8位に入った。中学1年生の時は、陸上部のない学校に通い、野球部に所属していた大石さん。陸上を始めて1年ほどで記録が伸びたことが楽しく、高校でも陸上を続けると決めた。
進学先は山形県立上山明新館高等学校。「これから陸上競技に力を入れていこうと、レベルの高い選手がそろっていました。最初はレギュラーに選ばれなくて全然楽しくなかったです」と苦笑する。
2年生の時に怪我をした選手の代わりに4×100mリレーのメンバーに選ばれ、初めてインターハイに出場。しかし、1走から2走にバトンはつながらず、3走の大石さんは走ることなく全国の舞台を終えた。
「自分たちは東北大会で優勝して全国への切符を手にしました。予選では、東北大会で勝つことができた学校が、別の組で1着を取るなどしていました。だからこそ、自分達も全国で戦える力があると思えました」
この悔しい経験から「もう一度全国の舞台に立ちたい」と思いが強まり、その後、めきめきと記録を伸ばした。高校3年のインターハイでは、4×100mリレーで5位入賞し、陸上を続けるために東洋大学へ。4年生の時の日本選手権では、4×100mリレーでメンバーに選ばれ、3位入賞を果たした。
陸上を続けながら体のメカニズムを学び、競技にも生かそうと、本学大学院教育学研究科に進学。「自分でしっかりと見て調べると、物事の奥深さに気付けます。大学院はそれができる場所。山形大学は学生と教授との距離が近く、アットホームな雰囲気が心地良かったです」と振り返る。
陸上部に入部し、学部生と一緒に練習。「日本学生陸上競技個人選手権大会では100 m10秒46のベストタイムを記録。決勝は1位の選手と同タイムの10秒52だったが、1000分の1秒単位の判定で大石さんは2位になった。「わずかな差で1位に届かなかったのが、とても悔しかった」。この経験が、社会人でも陸上を続けようという強い気持ちの原動力になった。
「最終学年で結果を残せることが多かった」という学生時代。社会人の今は学生時代のさまざまな経験も活かして国内外の大会に出場し、結果を残している。(写真提供/NMSAAP)
大石さんの就職活動時期は、短距離走の種目を設けている実業団はなかなかなく、個人で競技を続けると決意。山形市職員採用試験に合格し、公務員ランナーとして仕事と陸上を両立する生活が始まった。
最初の配属先は財政部納税課。農林部に異動し、公設地方卸売市場管理事務所を担当していた際にパンデミックになり、新型コロナウイルスワクチン接種対策室も兼務した。2022年4月から企画調整部男女共同参画センターで、ジェンダー問題などに関わる業務を担当している。
山形市役所には陸上部があり、大石さんは入庁後に入部。記録が伸び悩んだ30代前半は、競技から3〜4年離れたこともあった。結婚、子どもの誕生と生活環境が変わり、練習時間は一層限られるようになったが陸上を再開し、2023年には選手兼任監督に就任。積極的に大会に出場し、実戦経験を積んだ2024年は好成績を収めた。
初めて、M40のクラスで出場する2025年は、100mの日本記録の更新を目標に掲げている。その先、2026年は韓国で予定されている「世界マスターズ陸上競技選手権大会」で100mの世界一を目指す。
大学院まで進んだ大石さんは「大学や大学院に限らず、中学生、高校生の頃から、継続して何かに取り組むのは良いこと。新たに見えてくるものがあり、それは最終的に自分にプラスになるはずです。自分の場合はそれが陸上でした。社会人の今もライフワークになり、生活が充実しています」と後輩にエールを送る。
職場でパンフレットを整える大石さんは「卒業してだいぶ経ちますが、今でも山形大学の陸上部の学生と一緒に練習する機会があります」と、本学学生との関わりを教えてくれた。
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おおいしゆい●山形県山形市出身。山形県立上山明新館高等学校、東洋大学経済学部を経て、2010年3月、山形大学大学院教育学研究科修士課程修了。2011年4月に山形市役所に入庁。現在は山形市企画調整部男女共同参画センターに勤務する。家族は妻、5歳と2歳の娘。
※内容や所属等は2025年2月当時のものです。