研究するひと #15

池田弘乃&松本大理&柿並良佑

知を愛する「哲学」に学ぶ
疑う思慮と立ち止まる力。

2018.10.30

知を愛する「哲学」に学ぶ 疑う思慮と立ち止まる力。

「何が言いたいのかよくわからない」「なんの役に立つの」そんなイメージを持たれがちな謎多き学問「哲学」。その解答になり得るのか、専門分野の異なる3名の哲学研究者による鼎談が実現した。法哲学を専門とする池田弘乃准教授、カント哲学と討議倫理学が専門の松本大理准教授、現代フランス哲学の柿並良佑講師、三者三様のアプローチで哲学への理解、関心を喚起している。

柿並 本日の進行を務めます、柿並です。我々三者の共通点は哲学ですが、専門分野は少しずつずれているので、それらも含めた自己紹介からお願いします。
池田 専攻は法哲学です。法律学と哲学の間の曖昧な分野で、その中でも私は、ジェンダー、セクシャリティ、人間の性に関わる問題、それらが法制度と切り結ぶところでどんな哲学的な問題があるかを専門的に考えています。
松本 一番長くやっている研究はイマヌエル・カントです。20世紀後半にドイツで提起された討議倫理学も、少し勉強しました。現在の興味は、個人、個体、当事者性。カントの中にどれだけ具体的な個人が読み取れるかを読み直しています。
柿並 私の専門は現代フランス哲学です。20世紀後半という時代と場所を中心に、そこで展開された哲学を研究しています。主な研究対象は、ジャン=リュック・ナンシーで、特にナンシーが扱っている今日の共同体(コミュニティ)の問題、日本やフランスや中東など、宗教的アイデンティティの異なる人たちの間の共同体が、いかにして可能なのかという問題を主に扱っています。また、西洋哲学自体、キリスト教とは切っても切れない関係にあるので、哲学の背景としての宗教問題にも関心があります。

哲学とは?

英語でフィロソフィー(philosophy)、語源は古代ギリシャ語でphilo-愛する、ソフィア(sophia)=知で「知を愛する」の意。人生、世界、事物の本質を理性によって求めようとする学問。「哲学」という訳語は明治時代に西周が用いて一般に広まった。

哲学が実践的に役立つ時代へ
reason、理想と根拠を求めて。

柿並 我々、哲学の中でもジャンルはバラバラですが、共通点はありますね。すでに純理論的な哲学というだけではなく、実はかなり実践的なところに哲学者が足を突っ込んでいる、3人の研究内容もそこに関わっているように感じました。
池田 私は、コミュニティという言葉がどの哲学をやっていても一つのキーワードになっていて、誰とどういう形でコミュニティをつくれるのか、或いはつくれないのか、根本的な条件が今すべて危うくなっていると感じています。
柿並 松本先生の専門、討議倫理学について簡単にご説明をお願いします。
松本 討議することを倫理の基礎に置く、言い換えれば、言葉というものを倫理の基礎に置くという発想です。カントの倫理学では、誰もが同じ理性を持っていて、きちんと判断すれば誰もが正しい答えに行き着くという発想で物事を考えていました。でも、実際に人間は単一ではなく、言語も多様であれば、言葉の話し手と聞き手という非対称性もあるわけです。そのため、討議倫理学では理性の複数性ということがよく話題になります。
柿並 今、松本先生がおっしゃった“理性”という言葉もこの鼎談のキーワードだろうと感じました。私が専門としている現代フランス、ドイツも含めていわゆる「大陸系」と呼ばれる分野では、歴史の問題が哲学の議論の中にも入ってきますよね。ナチスの強制収容所、ユダヤ人の虐殺などがなぜ起こったのかということに対する反省が、戦後の哲学の出発点だと考えられます。その時によく言われたのが、「理性が間違っていた」。その理性について議論することはありますか。
池田 理性は英語だとreason、“理由”でもあり、複数の人がいて理屈に適っているか、納得できるかの討議が前提で、社会生活の倫理的問題を考える上では大事なこととして議論することはあります。
柿並 reasonは“根拠”と訳すこともできます。哲学的に「神は死んだ」と言われ、世界を支えている根拠、世界のreasonがなくなっている状況をどう考えたらいいのか、という議論が結構あります。具体的には、フランスが抱える社会問題でもある難民問題や不法滞在者。そこにいる理由も法的な資格もないのにそこに居ざるを得ない人々といった社会問題とリンクしています。

理性の多様性と言語の単一化
哲学における地域性とは。

柿並 我々3人の研究は英独仏とバラけているようでいて、でもやっぱり哲学界の3巨頭。どんなに多様性を認めて対話を重視するにしても、西洋中心主義的じゃないかとの批判がよくあります。国際学会や海外研究者との交流などを通して感じる哲学の地域性、地方色について伺いたいのですが、私たち東洋人が西洋の学者たちのコミュニティにどう寄与したり、介入できたりしているのでしょうか。
松本 ケルン大学の先生が、東洋では西洋哲学がどのように研究されているのかを真面目に見直そう、といったコンセプトの研究会を開催していたので、何度か参加してみました。そこで感じたことは東洋、日本から何かを学ぼうというよりは、例えば、カントを理解する上で日本人の目にカントがどう見えているか、一見、西洋中心主義から脱しようとしているようで、結局、土台としては西洋中心主義かといった印象でした。
柿並 フランスには、国際哲学コレージュという世界各国から講師を募る自由で流動性の高い哲学教育の場があります。日本人や中国系の講師もいたり、そういった点ではかなり多様性への配慮は見られる制度です。
松本 そこでの講義はフランス語ですか。
柿並 基本、そうです。ドイツでは?
松本 やはり、ドイツ哲学をよく勉強してきた人の集まりなので国籍や出身は多様でも言語はドイツ語。言語として何を選ぶかも大きな課題ですね。
池田 法哲学の国際学会は、世界中から人が来るのでどうしても英語になりますね。地域色と言えるのかわかりませんが、法哲学で人権の問題を扱う時に普遍と言っているけれども、実は西洋スタンダードではないかというのは使い古された批判で、それをどう考えればいいのかというのはすごく難しいですね。
松本 ドイツ中心で開催されているカントの研究会も、英語への切り替えという動きも出てきています。
柿並 2018年の5月にカナダのモントリオールで開催された「Derrida Today」という国際会議で、私はフランス語で発表したんですが、圧倒的にマイノリティ。7〜8割は英語での発表でした。確かに、国際会議は英語で開催したほうが世界中から人が集まって、多様性は確保できます。その一方で言語の多様性は縮減されるというジレンマを感じます。英語を使うことと研究速度はパラレルで、例えば、アメリカの大学では、フランス哲学も英語の翻訳だけで研究して論文を書いて博士号まで取れます。日本語だけ、あるいは英語だけで研究をすることは、日本ではまだ考えられないことです。フランス語で丁寧に読んでいるとスピードは落ちますが、ニュアンスまで読み解くことができるのに対して、英語だけで研究を進めると何かが抜け落ちますよね。

国際会議のオープニングセレモニー

国際会議のオープニングセレモニーで各国の著名な研究者が集う学会「Derrida Today」。国際会議初日の夕方には、立食パーティーが行われることも多い。他の日本人研究者とともに、基調講演を務めたジネット・ミショー氏を囲んで。

国際会議後の哲学研究者たちの集まり

国際会議後の哲学研究者たちの集まり2018年5月にカナダモントリオールで開催された国際会議「Derrida Today」に参加し、仏語で発表を行った柿並講師。会議後に各国の研究者と談笑。

松本 私は英語を使ったほうがいいと今は思っているんですが、日本語で考えている時ならではの思考をきちんと見直す必要があると感じて、日本の哲学者のことも意識するようにしています。九鬼周造は西洋哲学の研究者ですが、日本語で語る時にその背後にある美的イメージだとか、仏教的なものとか、日本独特の哲学的な蓄積や背景を日本語でうまく語ろうと努力しているので、非常に関心を持っています。それでいて英語で使えることはできるだけ英語でやればいいという割り切りと、その二つを携えながらやっているという感じです。
柿並 自身の中の二元性、ですね。
池田 私も言語は英語。アジアの研究者の集まりでも、英語ならコミュニケーションが取れるという不思議な現象があるので、いろんな人といろんな意見交換ができるという点はすごくいいことだと思います。ただ、翻訳の問題があるということは忘れないようにしています。原著絶対主義とはいいませんが、翻訳の時に何が失われているのかに意識的になる必要はあると思います。

プラトンから九鬼周造まで
10年に一度の哲学ブーム。

松本 ところで、私は古典を読むと新しいものを読む気が失せてしまうんですがお二人はどうですか。
柿並 この問題、古典の中でもう解かれていたのか! ということがよくありますよね。
池田 法哲学も問題はすべてプラトン、あるいはソクラテスで出ていると言えるくらい。正義とは何かとか。
柿並 私の研究対象であるナンシーは福島の原発問題について本を書いていますが、原発問題をプラトンは知らない。その意味では、取り組むべき問題は目の前にある。常に新しく出てくる問題に、どんな哲学的理論をあてはめるかはこちらの裁量と言えます。
松本 まさに、新しい問題があるから古いものが古典としての価値を増していくというわけですね。

古代ギリシャ哲学

ソクラテスが最期を迎えたとされる洞穴

ソクラテスが最期を迎えたとされる洞穴ソクラテスが死刑の判決を受けた後、刑の執行まで幽閉されていたという洞穴。ギリシャの世界遺産アクロポリスの向かい側にあるフィロパポスの丘にある。(写真撮影 : 松本准教授)

柿並 10年に一度くらいの周期で訪れる一種の哲学ブームですが、今だと『なぜ世界は存在しないのか』や『有限性の後で』といった哲学書が異例のベストセラーになっています。一般の人と哲学の距離、哲学がどんな立場にあるか、感じていることがあれば。
松本 九鬼周造の『偶然性の問題』という名著がありますが、それと連関する本がよく売れているようです。九鬼の偶然性というキーワードが今の時代に受けやすいのではないでしょうか。

哲学にもブームがある?

哲学が育む、立ち止まる力と
ゆっくり情報を得るモード。

柿並 では、最後に高校生やこれから哲学を学ぼうという人へのメッセージで締めくくりたいと思います。
池田 書店の平積みに並んでいるような「哲学」本の中には、断言的に人生論を垂れるようなものもありますが、本来の哲学はむしろそれらを疑ったり、立ち止まって考えたりすることだと思います。
柿並 「監督の哲学」とか「経営者の哲学」とか、哲学とつく本は山ほどあって、人生論だったりすることが多いですが、哲学は人生論ではありません。
松本 哲学を学ぶと生きることに関して、他の分野では教えてくれないこと、捉えにくい問題を捉える手がかりがもらえる貴重な体験になると思います。
柿並 まさに学校では教えてもらえないこと、本を読んで自分で考えないとわからないことがありますからね。結果、ひねくれ者になるかもしれませんが。
池田 素直すぎたらこれからの世の中、生きていけませんから。ちょっとひねくれるためにも哲学を。先程の柿並先生がフランス語をゆっくり読むという話で、今の時代、瞬時に情報を得ようと思えばいくらでも得られますが、逆にゆっくり情報を得るモードを自分の中に持っていたほうがいいと思いました。
柿並 毎日がバラ色の人が哲学書を読んでもおもしろくない。世の中や自分自身に疑問を持ってしまった人がうっかり手にするとその人には役に立つ。だから、うっかり手に取ってしまってほしいです。
松本 哲学は、立ち止まる力をつけてくれますからね。
柿並 今の話を通して少しでも一般の人と哲学の距離が縮まってくれたら嬉しいですね。

つづきを読む

いけだひろの

いけだひろの●准教授/専門は法哲学。東京大学法学政治学研究科総合法政専攻博士課程単位取得満期退学。主に、ジェンダー、セクシャリティといった人間の性の問題と法制度について研究。

まつもとだいり

まつもとだいり●准教授/専門は哲学・倫理学。ドイツのケルン大学(Universität zu Köln)博士課程修了。研究テーマはカント、討議倫理学。関心は留まることなく、カントから日本の哲学者九鬼周造まで深く読み解く。

かきなみりょうすけ

かきなみりょうすけ●講師/専門は現代フランス哲学。東京大学総合文化研究科博士課程単位取得退学。主にフランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシーを研究。共同体や哲学の背景としての宗教への関心が高い。

※内容や所属等は2018年当時のものです。

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