研究するひと #03
瀬尾和哉
スポーツパフォーマンスの向上に
人間と用具の両面からアプローチ。
2017.10.06
研究するひと #03
瀬尾和哉
2017.10.06
熱流体力学等を専門とする瀬尾和哉先生は、本学への着任を機にスポーツ工学の研究に乗り出した。従来の主に人間を対象としてきたスポーツ研究に加えて、用具にもフォーカスする分野だ。これまで培ってきた研究者・エンジニアとしての知識や経験を生かし、ジャンプ台の設計、バレーボール試合球の開発などでも成果を上げている。その他、数々の功績が認められ、この分野で世界最高の賞を受賞した。
スポーツに関する研究は、身体運動のメカニズムをはじめ、栄養学や心理学に至るまで多岐にわたる。それらの研究が主に人間を対象にしているのに対して、スポーツ工学は人間に加えて、用具も研究対象にしている点が特徴の一つ。全ての人はスポーツをした方が良い、特に高齢者や障がい者はスポーツをしなければならないと唱える瀬尾和哉先生は、人と用具の両方をうまく調和させることにより、スポーツパフォーマンス向上をめざしたり、健康で文化的な生活を追究したりする「同時最適化」を提唱している。
その同時最適化の成功例とされているのが「クラレ蔵王シャンツェ」。山形市から瀬尾先生に蔵王ジャンプ台の改修に伴う設計依頼が持ち込まれ、スキージャンパーの安全性、飛距離、スキルの差による飛距離のばらつき、建設費などを評価指標として最適設計を行ったのだ。これまでに蓄積した風洞実験データ、何度も実行してきた飛行軌道シミュレーションや形状最適化を応用すれば依頼に応えられる、と相談を受けた時点で確信したという。その確信どおり、スキージャンパーたちにとっては安全で実力を十分に発揮できる、山形市にとってはコストパフォーマンスの高いジャンプ台を実現することができた。さらには、観戦者がより楽しめるエキサイティングな試合展開も意識した設計というから、いったい何項目を同時最適化していることになるのだろう。
スポーツ工学の研究を始めた頃の瀬尾先生の原動力は好奇心。空高く蹴り上げられたラグビーボール(ハイパント)はなぜ揺れながら落ちてくるんだろう、サッカーのブレ球シュートはなぜ揺れるんだろう、そんな流体力学的不思議の解明から実験・研究を深化させていったのだという。しかし、最近では前述のジャンプ台のケースのように、各方面から相談や依頼を受けるかたちで用具開発などに多く携わっている。バレーボール、サッカー、ラグビー、セパタクロー、円盤投げなど、球技を中心にさまざまな競技用具の開発に参加している。
さらに、ロンドン五輪以降は、オリンピック競技のマルチサポート事業にも携わっており、2016年のリオデジャネイロオリンピックからは、パラリンピック競技のハイパフォーマンスサポート事業にも参画。見事にそのままメダルを獲得したウィルチェアーラグビーや銀メダルを獲得したタンデム自転車競技に研究成果を還元し、開発品を納めた。パラリンピック期間中には、灼熱のリオに10日間滞在した。30代までは好奇心を原動力に取り組み、現在は蓄積してきた学術的スキルを社会の要請に応えて還元している局面である。
こうした多方面での学術的貢献が評価され、瀬尾先生は2016年、ISEA(国際スポーツ工学会)Fellowを受賞。ISEA(International Sports Engineering Association)とは、スポーツ工学分野において世界唯一、最大の国際学会。ISEA Fellowはスポーツ工学において世界的に優れた業績、学問的発展に貢献した研究者に贈られる同分野では世界最高の賞。瀬尾先生は世界で4人目、日本人では2人目の受賞者となった。「この賞は、これまでの研究、取り組みの積み重ねに対する賞という点で光栄です」と嬉しそうな瀬尾先生。今後、同時最適化をさらに進める上では人体のメカニズムや身体能力など、学ぶべきことは無数にあると知識の吸収に意欲を示す。
現在、瀬尾先生の研究室に所属している学生は9名。風洞実験、シミュレーションなど先生の研究をサポートしながら、各人にテーマを見つけていく。瀬尾先生の指導指針は“Something new”。どんな小さなことでもいいから何か新しい視点や発見を盛り込むことを求めている。旺盛な好奇心を原動力としてきた先生らしい。3年後に迫った東京五輪では、リオ以上に選手たちの活躍が期待されている。瀬尾先生の活躍シーンもますます増えていくに違いない。より高次元での同時最適化を実現し、日本の選手たちを強力にサポートしてほしいものだ。
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せおかずや●教授/専門は熱工学・航空宇宙工学・スポーツ科学。筑波大学工学研究科修了、博士(工学)。平成14年准教授、24年より教授。スポーツ工学への学術的貢献が認められISEA Fellowを受賞。
※内容や所属等は2016年当時のものです。