研究するひと #04
渡部徹
下水に秘められた可能性、
農業や医療への利活用に向けて。
2017.10.13
研究するひと #04
渡部徹
2017.10.13
私たちの生活に欠かせない水。だれもが思い浮かべるのは、きれいで安全な水ではないだろうか。しかし、実は下水にも大きな役割や可能性があるということを、今回の特集を通して知っていただきたい。利活用次第でさまざまな分野でその価値を発揮する下水。大胆な発想でその可能性を追求する水環境工学が専門の渡部徹先生。飼料用米づくりから薬剤耐性菌対策まで、いくつものプロジェクトを同時に推進し、学生たちへの指導も熱い。日本国内はもちろん、東南アジアを中心に国際共同研究も盛んな渡部先生の今に迫ってみた。
2010年の本学着任までは、衛生工学の研究者として水の安全、水と健康をテーマに上下水道などを研究対象としていた渡部先生。その頃から研究フィールドは主に海外、特に東南アジアだった。日本ではすでに上下水道の整備により衛生状態がよく、水が原因となる健康被害などはあまり見られなくなっていたからだ。それらは後の研究にもつながっていくが、着任直後はそれまでの研究実績や経験を、農学部のある米どころ鶴岡でどう生かすかを優先し、まず下水処理水を活用して飼料用米を栽培するという発想に至った。下水処理水は、質、量ともに安定的な水源であり、しかも肥料成分である窒素が豊富に含まれている。最初は食用米栽培を目指したのだが、米の中のたんぱく質が増えて食味が落ちてしまうため食用米には不向きであることが分かった。しかし、たんぱく質が多いということは家畜の成長を早める飼料として、むしろメリットになる。そこで、2013年からは飼料用米栽培の実験を本格化させた。
第一段階の実験では、農学部のキャンパス内に水田模型を作り、下水処理水の量や土などの条件を数パターン変えて生育状態の観察を行った。結果、窒素とカリを施肥しなくても、たんぱく質含有量が非常に高い飼料用米ができることがわかった。第二段階は、鶴岡浄化センター内に設けた水田での実証実験。処理水がいくらでも使える環境で栄養過多になってしまったのか、1年目は成長しすぎて倒伏も起こり、収穫量は十分ながら、いろいろな課題も見つかった。その教訓を生かして水量などを調整し、2年目の今年は順調な生育となっている。第三段階は、実際の水田での栽培実験を予定しており、そのために協力してくれる農家を探している。農家の方の気持ちとしては、「処理したとは言え、有害物質が残っているのではないだろうか。土壌成分が変わってしまうのではないだろうか」といった懸念が大きく、下水処理水を水田に入れることにはまだ抵抗があるようだ。今年はそれらの懸念を払拭して、安心して協力してもらえるように説得力のあるデータを蓄積する時。有害物質の蓄積もなく、土壌の性質も変わらない、むしろ肥沃になるということを納得してもらうために。
一方、飼料米を家畜に与える畜産農家も、飼料の原料のほとんどを価格の不安定な輸入に頼っている現状からすると、飼料用米が増産されて国内で安定供給されることは願ってもないこと。しかも、下水処理水による栽培で肥料代がかからない分、コストが抑えられ、たんぱく質が豊富で家畜の成長も早いという点でも申し分ない。家畜がちゃんと食べてくれるかどうかという嗜好性の問題もあったが、大学の農場で飼育する牛に実験的に食べさせたところ、他の飼料米と同じように食べたということでクリア。今後、収穫量を増やし、継続的に家畜に与えて、肉質などへの効果を畜産の先生とも連携しながら見守っていく。
この研究には3人の留学生も関わっており、成果を母国の農業にも役立てたいと大変な作業にも積極的に取り組んでいる。
渡部先生が以前から取り組んできた水と健康に、食をプラスした「アジアの水・食・健康リスク講座」が、公益財団法人住友電工グループ社会貢献基金の寄附講座として2017年4月からスタートした。テーマは、アジアの持続可能な産業社会の発展を支える水・食・健康リスクの教育研究。経済発展が著しいアジア諸国では、産業社会の発展を優先するあまり、環境汚染が進んでいる。途上国では子どもたちが汚れた水を飲み、お腹をこわして栄養状態が悪化し、最悪の場合、命を落とすこともある。また、汚れた水を直接飲まずとも、その水を使って栽培した農作物が汚染されていて、それを食べることで健康を害するケースも考えられる。また、目先の利益を追求して過剰な肥料や農薬の使用が、生産環境や周辺環境の劣化を引き起こす恐れもある。このような状況の中で、どうやって健康に暮らしていくか。そこで、渡部先生らの研究が意味を持ち、役に立ってくる。
本講座の目的は、アジアの持続可能な水や食料の循環を理解し、健康リスクを正確に評価できる人材を育成すること。学生は、農学部のグローバル食農環境コース(英語によるカリキュラム)で学ぶ。本講座教員による水環境汚染と健康リスクに関する講義の他、協力教員の講義からは気候変動下での食料生産、汚染物質に対応した食品加工技術、食品の流通による健康リスクの拡大などについて学べる。さらに、これまで関係を築いてきた、ベトナム、カンボジア、インドネシア、タイ、フィリピンの5カ国の大学と連携。毎年、相手国1カ国に学生を派遣し、現地の学生とともに一週間のセミナーを実施。水と食に関連する施設の見学のほか、 実践型教育としてフィールド調査も実施する。その後、現地学生とのワークショップを行い、問題解決に関するディスカッションを行う。途上国の今は、ちょうど数十年前の日本の姿によく似ている。言葉では伝えきれない高度成長期の日本の姿を東南アジア諸国越しに実感してほしい。一週間という短い期間でできることは限られているが、その場に身を置き、目で見て匂いを嗅いで体感することが何よりの経験。さらに、現地の人々がどう感じているのか、物理的な現状だけではなく、人の思いにもふれることを大切にしている。そして、日本人が勉強すると同時に、現地の学生たちにとっては、改めて自分たちの国や地域の実態を知るきっかけになってほしいとも考えられている。
1年目の今年の派遣地はベトナム。大学院生、学部生あわせて13人が9月にベトナムのフエ市を訪れ、都市洪水、農地汚染、健康リスクなどをキーワードとする研修を実施する。全学的な取り組みながら、1年目ということもあって農学部の学生のみの参加となったが、2年目以降は、工学部や人文社会科学部の学生の参加を期待している。多角的で立体的なディスカッションが展開できて面白そうだ。そういった観点から、特に2年目以降は予備知識のない専門外の学生でも、興味がある学生であれば大歓迎。同じプログラムでも感じ方はそれぞれ。その違いから互いに得られるものも大事にしていきたい考えだ。
寄附講座「アジアの水・食・健康リスク講座」とリンクさせながら渡部先生が進めているもう一つの取り組み「水環境モニタリングによるアジアの薬剤耐性菌リスク研究拠点」が、平成29年YU-COE〈山形大学先端的研究拠点(C)〉として採択された。拠点メンバーは、渡部先生をリーダーに愛媛大学や金沢大学、タイ、ベトナム、カンボジアの大学の先生方との共同研究で、平成33年度末の拠点形成を目指している。先進諸国で薬剤、特に抗生物質などに対する抵抗性を獲得した薬剤耐性菌が見つかる理由のひとつが途上国からの持ち込み。いつかは、さらなる脅威「スーパー耐性菌」が日本に持ち込まれる可能性もある。その対策として、水際以前で食い止める作戦だ。日本との交流が深い東南アジアの国々を対象として、スーパー耐性菌を含めた新しいタイプの耐性菌の発生をいち早く捉えるために、都市下水に存在する耐性菌のモニタリングを行う体制の構築を目指していく。現状では、薬剤耐性菌に感染した患者が病院で見つかることでその危険性が把握されるが、耐性菌に感染していても病院に行かないケースは見逃されてしまう。それに対して、渡部先生らが開発をめざすシステムは、都市下水を定期的にモニタリングすることで、人間に重大な被害を引き起こすかもしれない耐性菌の出現を、病院からの報告によらずに検知し、警鐘を鳴らすことができる。下痢症などの腸管感染を引き起こす病原菌は、ほとんどすべて下水道に流れ込み、その中に存在する耐性菌ももれなく下水道に集まるからだ。この戦略は、渡部先生も参画している類似の先行研究事例に基づいている。日本のある都市の下水中のノロウイルスのモニタリングによって、感染性胃腸炎流行を迅速に検知することに成功しており、その有効性は実証済みである。
本拠点における研究活動の達成目標は、「都市下水をモニタリングすることで、都市内での耐性菌の蔓延を予測するための手法を構築する」「タイ、ベトナム、カンボジアに薬剤耐性菌モニタリングベースを構築する」「モニタリングベースで収集した耐性菌のデータを収集、解析、公開を行う体制を構築する」「日本を含めたアジア諸国での耐性菌の蔓延に関するディスカッションを行う研究会を立ち上げる」「重要と判断された耐性菌や耐性遺伝子を集める体制を築き、自らが分析を行うとともに、国内外の研究者の要望に応じてそれを提供するスタイルの拠点を形成する」としている。 ともすると目を背けがちな下水が、私たちの健康を守ってくれる貴重な情報提供者になるかもしれないということだ。下水の利活用の可能性には、むしろ目を見張るものがある。
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わたなべとおる●教授/専門は水環境工学。東北大学工学部卒業、博士(工学)。同大大学院助教、東京大学環境安全研究センター特任准教授を経て、2010年本学着任。下水処理水を利用した飼料用米栽培やアジアの水環境等を現在研究中。
※内容や所属等は2017年当時のものです。